ヒ素(As)~美しくも猛毒。不純物半導体に欠かせない存在~

元素記号As、原子番号33番の元素、ヒ素。Arsenicの英名はギリシャ語で黄色の顔料を意味する「arsenikon」からきている。

「ヒ素」という元素名を聞くと、毒性物質だ、とまず考えてしまう人は多いだろう。ナポレオンの死因だとか、和歌山毒物カレー事件、食品混入による中毒事故など、話題性が高いだけでなく、実際にその毒性も高い。無機ヒ素の致死量は、体重1 kgにつき2~3 mgなので成人では100~300 mg となる。ヒ素は地殻に比較的豊富に存在することから、土壌や水域などにも当然ある程度の量が含まれることになる。

天然に存在するヒ素化合物の例(左から亜ヒ酸、ヒ酸、ジメチルアルシン酸、アルセノベタイン)

多くの植物はヒ素を体内に多く吸い上げないが、いくつかの農作物や海産物においてはヒ素を含みやすいものもある。日本人が多食するコメ、海藻、魚介類、野菜のヒ素含有量は他の食品に比べると若干その数値が高いことがわかっている。農林水産省は2003年以降その含有量の実態調査および摂取量調査を続けており、現時点で日本における食品を通じたヒ素による影響はないものと結論付けている。ただし諸外国の事情は若干異なっており、国際食品規格委員会(Codex委員会)やEUなど諸外国でも食品に含まれるヒ素の基準値(概ね、0.20mg/kg)が市民に明示されたことから、例えばスウェーデンでは食品庁が一般市民のコメの摂取について6歳未満の子どもにはライスクッキーを食べさせないことや、全ての子どもはコメからできた食品を食べる回数を一週間に4回以内にすること、などを勧告している。

ヒ素の用途

歴史的にも「ヒ素」はその毒性を利用して、梅毒治療薬、農薬(殺虫剤)、殺鼠剤、木材の防腐剤、化学兵器などに用いられてきた。最近、この猛毒の無機ヒ素のひとつである三酸化二ヒ素(亜ヒ酸の無水物)によって、癌を撃退できるという画期的な研究成果が発表された。これは脂肪細胞の膜でできた微小カプセルに三酸化二ヒ素を包み、血管を通じて患部に投与するという技術である。脂質は基本的に健康な細胞内では溶解しないが癌によって酸性化された幹部でのみ、カプセルからヒ素が溶け出し腫瘍を根絶させるという原理である。1800年前後、当時発色がよく退色しにくい顔料としてヒ素を主成分とするシェーレ・グリーン(亜ヒ酸銅、抹茶色)と、パリ・グリーン(アセト亜ヒ酸銅、エメラルドグリーン)が開発され、スウェーデン、ドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパで多用され当時流行っていた、ビクトリア朝壁紙(モチーフに植物が多い)に多用され、壁紙やドレスの着色に使われたそうである。その後、高い毒性から使用は自粛されることになった。

パリ・グリーンの実物写真 (写真協力者:pharmantiques)

亜ヒ酸銅の化学式
Roland1952氏による”Paris Green” ライセンスはPD (出典:WIKIMEDIA COMMONS)

ヒ素は現在の情報社会においてなくてはならない存在でもある。不純物半導体での利用が最たる例である。ケイ素やゲルマニウムを主成分とする半導体にわずかの不純物元素(主にリン、ヒ素、ホウ素)を添加することで、電子または正孔をキャリアとするn型またはp型の半導体を作ることができる。半導体デバイスの性能を高めるためには電子や正孔の濃度を高めることが求められているが、添加した不純物元素全てが活性化して電子や正孔を作れるわけではない。これまで半導体の中の不純物元素の構造を原子レベルで精密に捉えた例はないが、近年、東工大の筒井一生教授らの研究グループが、光電子ホログラフィー法と解析理論を開発した結果、世界で初めて、結晶中の添加元素を選択的に10億倍まで拡大して直接観察することに成功した。図はその成果により得られた半導体の中のヒ素の様子を示したものである。

直接的に関さるされた結果から、再生されたシリコン(Si)の3次元的な原子像の模式図
図面提供:東京工業大学 科学技術創成研究院未来産業技術研究所 筒井一生教授
高輝度光科学研究センター情報処理推進室 室長 松下智裕氏https://www.titech.ac.jp/news/2017/040188.html

 

【実験】食品(ヒジキ)中のヒ素の検出実験

ヒジキに含まれているヒ素を抽出し、原子吸光光度法で定量している様子(左上:乾燥ヒジキ、中上および右上:湿式分解の様子。左下:原子吸光光度計、中下:ヒ素の標準溶液、右下:定量画面の一例)  写真協力:松本大学大学院健康科学研究科 高木勝広教授

ヒジキを濃硝酸、濃硫酸、過酸化水素水を使って湿式分解すると、無機物だけを抽出して定量分析をすることができる。ただしいずれの酸も大変危険で、また白煙や泡が発生するため、強制排気できるドラフト内で試料を調製し、分解作業も続けて行う。写真のようにビーカーに乾燥ヒジキを入れ、溶液を静かに注いだあと、200℃で2時間ほど加熱を続けると有機成分が分解してほとんど色のない溶液になる。

ヒ素の標準溶液(濃度のあらかじめわかっているヒ素水溶液を数種類)準備し、原子吸光光度計またはICP(高周波誘導結合プラズマ発光分光分析法)を用いて、検量線法によってヒ素の濃度を決定することができる。得られたデータから、乾燥ヒジキ1キログラム中に含まれるヒ素の量(ミリグラム)を計算して求めることができる。産地等によって差はあるが、上記の実験では80~90ミリグラムが検出された。ちなみに農林水産省によると、水および湯で戻すことによってヒジキ全体のヒ素を8から9割減らせることがわかっている。

 

参考文献:
食品安全委員会、食品安全総合情報システム「食品中のヒ素」:http://www.fsc.go.jp/fsciis/evaluationDocument/show/kya2009031900k
農林水産省、ヒジキに含まれるヒ素の低減に向けた取組:http://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/kome/k_as/maff_hijiki.html
Clare Milliken “Fighting cancer with a famous poison”, Medical Press, May 30, 2018 :https://medicalxpress.com/news/2018-05-cancer-famous-poison.html
Smithonian.Com “Arsenic and Old Tastes Made Victorian Wallpaper Deadly”:
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/victorian-wallpaper-got-its-gaudy-colors-poison-180962709/
東工大ニュース「半導体中の添加原子と周辺の3次元配列を観察」:https://www.titech.ac.jp/news/2017/040188.html

写真・図面協力:
東京工業大学 科学技術創成研究院未来産業技術研究所 筒井一生教授
高輝度光科学研究センター情報処理推進室 室長 松下智裕氏
松本大学大学院健康科学研究科 高木勝広教授

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山﨑 友紀

大学教授として化学や地球環境論の講義を担当。水熱化学の研究を行いながらサイエンスライターとしても活動中。趣味はクラシックバレエ。