頼れる火消し元素 臭素(Br)

「生活の中の元素」を探して

第五回は、原子番号35「臭素」のお話です。
去年12月に始まったこのブログも、私の担当回としては五回目。勝手に1つの区切りを迎えたと感じ、初心を思い出してみようと思い立ちました。始めるにあたって「生活の中の元素」を取り上げようと決めたのですが、読んでくださる皆さんには“生活”を感じていただけているのでしょうか。そこで、今回はブログのネタを自分の生活の中から見つけようと決めました。

「この世界はすべて元素からできている」わけですから、ネタを探す必要なんてないのかもしれません。手に取ったモノの成分を調べていけば、おのずと、さまざまな元素に出会えます(もちろん簡単には出会えない元素もありますが)。しかし、今回は特別に、“すごい元素が関わっていそう”と思えるものが身の回りにないか、意識して探してみることにしました。

なかなかないものねと思っていたところに見つけたのが、消火設備でした!先日、録音スタジオを利用したところ、そこにあった警報器に大きく赤い文字で「回転点灯を始めたらハロンガスを放出します・・・・」と書かれていました(写真1)。

(写真1)ハロンガスの消火設備は、録音スタジオのほか、防災センターや書庫などに備え付けられている(提供:depositphotos)

 

“ハロン”って何?もしかして、すごい元素が関わっていたりして?

勘のいい人は「ハロゲンに似ていないか?」と思ったのではないでしょうか。その通り。ハロゲン族元素が含まれています。ハロゲンとは周期表の第17族に属する元素で、フッ素(F)、塩素(Cl)、臭素(Br)、ヨウ素(I)、アスタチン(At)のことです。ハロンとは、炭素(C)とフッ素(F)の化合物であるフロンのうち、臭素を含むもののことをいいます。そして録音スタジオで使われていたのは、化学式ではCF3Brと書かれる「ハロン1301」でした。そこで今回は、臭素を“火を消す元素”として取り上げることにしました。

とはいっても、まずは臭素(Br2)がどのような物質か抑えましょう。常温では赤褐色の猛毒 な液体です。すごい悪臭がするので臭素と名付けられました。英語名のbromineもギリシャ語で悪臭を意味するbromosに由来しています。死海や塩湖といった海水中に67.3ppm(0.00673%)の濃度で存在します。とても反応しやすいので、一人ぼっちでいることはまれで、ほとんどの場合、ほかの元素にくっついています。反応しやすいという性質は、臭素をはじめとしたハロゲン族元素の共通の特徴で、別の言い方では“酸化力が強い”と言われます。

ハロンは理想的な消火剤なのか?

消火設備といって、まっさきに思い出されるのは、水を放出するスプリンクラーではないでしょうか。ハロンガスを放出する消火設備があったのは、そこが録音スタジオという特殊な場所だったからです。スプリンクラーで水を撒いたら、燃えなかった録音機材まで水浸しになって使い物にならなくなってしまいます。ほかにも粉を散布する消火設備がありますが、細かい粉末が機材に入り込んだらたいへんです。消火後に現状を復旧するのも容易ではありません。というわけで、ハロンを使う消火設備があるのは、高価な録音機材のあるスタジオのほか、災害時でも止ってはいけない防災センターや、貴重な資料を保管する書庫など重要な場所ばかりです。

一口にハロンといってもいろいろな種類があります。中でも、消火設備によく使われているのが、ハロン1301です。無色無臭、毒性は低く安定 な気体で人間や電気機器類への影響が少ない上に、消火する能力は高いので室内のハロン濃度は5~7%で済みます。少量でいいということは、人体への影響や、極端に酸素濃度が下がってそこにいる人たちが窒息する心配がありません。

では、どうして消火できるのでしょうか。少し立ち入って考えてみましょう。ものが燃えるには、①燃焼物と、②酸素があって、③高温(熱)にならなければなりません。この3つの要素のうちどれか1つでも取り除くことができれば、火は消えます。ですから、消火法には、燃焼物を取り除く「除去消火」、酸素が供給されないようにする「窒息消火」、温度を下げる「冷却消火」の3種類があります。このうちハロンはどれかというと・・・・一部、窒素消火的な働きもあるのですが、まったく別の「負触媒作用」という第4のメカニズムで火を消します。

負触媒作用とは?

燃焼物が熱で分解すると、Hラジカル(H・)*1 とOHラジカル(OH・)が発生します。このラジカルが、燃焼を推進します。ここに臭素を含む消火剤がやってくると、火災の熱により消火剤も分解して、こちらからは臭素ラジカル(Br・)が生じます。この臭素ラジカルが最終的には、火炎中のHやOHのラジカルをトラップするような働きをするので、燃焼の連鎖反応が中断し火は消えるのです。これがハロンの負触媒作用になります。

(図1)燃焼サイクル
ものが燃えるには、燃焼物、酸素、熱が必要です。炎の熱によって、燃焼物が熱分解しますが、その際に生じたラジカル(反応性が高い化学種。代表的なものにHラジカル(H・)、OHラジカル(OH・)がある)がまだ燃えていない燃焼物に働きかけると反応が促進され、より燃えやすくなります。このサイクルが繰り返されることで、燃焼の連鎖反応が続くのです。

プラスチックが燃えないのも臭素のおかげ

もう一つ、臭素が面白いものに含まれている例を紹介しましょう。モノを燃えにくくするために、難燃剤といわれる物質が、プラスチックなどの素材に混ぜられていたり、カーテンなどの繊維製品に塗られていたりします。いろいろな種類がありますが、その1つに臭素を含む臭素系難燃剤があります(図2)。臭素系難燃剤は燃えにくくする効果が高いので、使用量が少なくて済み、素材の色や強さにほとんど影響しないのがいいところです。

(図2) 左:ヘキサブロモシクロドデカン 右:テトラブロモビスフェノールA

難燃剤が、モノを燃えにくくするメカニズムも、基本的には消火のメカニズムと同じで、酸素を遮断したり、熱を奪ったりとさまざまですが、臭素系難燃剤の場合は、やはり臭素を含む消火剤と同じように、ラジカルをトラップして、燃焼の連鎖が起こるのを食い止めます。

安全とオゾン層破壊のジレンマ

毒性もなく消火力の高いハロン、素材を燃えにくくする働きの強い臭素系難燃剤。いずれも暮らしの安全に関わる臭素を含む物質です。しかし簡単に使えない事情があります。ハロンはフロンの一種だと説明したように、オゾン層の破壊の原因になります。そのため、ハロンを使った消火設備は、どうしても必要な場所にしか設置できません。また、ハロンは使われずに古くなったら再生利用したり、不必要になったら回収したり、環境へ放出されないように細心の注意が払われています。一方の難燃剤も、環境への影響のほか人体への残留性が心配されており、規制が設けられています。臭素という元素との付き合い方も一筋縄にはいかなさそうです。

 

*1ラジカル:普通、電子は2つずつペアで同じ軌道上に存在しているが、何らかの条件で、同じ軌道上にひとつしかない電子(不対電子)のこと。ほかの物質と反応しやすいという特徴をもつ。

 

参考資料:
『世界で一番美しい 元素図鑑』創元社、2010、11
『難燃化技術の基礎と最新開発動向』シー・エム・シー出版、2016、2
『難燃学入門』化学工業日報社、2016、10
特定非営利活動法人 消防環境ネットワーク:http://www.sknetwork.or.jp/一般社団法人 日本消火装置工業会http://shosoko.or.jp/equipment/halo.html
日本難燃剤協会:http://www.frcj.jp/flame-retardants/
EFテクノリサーチ株式会社:https://www.jfe-tec.co.jp/envi-ene/eu/
日本ドライケミカル株式会社:
http://www.ndc-group.co.jp/products/plant/furlong/index.html

 

 

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池田亜希子

サイテック・コミュニケーションズに勤務。ラジオ勤務の経験を生かして、 現場の空気を伝えられる執筆・放送(科学関連)を目指している。