大気圧でも安定なヘリウム化合物

この高純度化学研究所公式ブログの記念すべき最初の記事は私が書いたヘリウム化合物に関するものでした。当時(2017年)に、世界で初めてヘリウムの化合物Na2Heの存在が理論的に予測され、実際に合成されたのです。そもそもヘリウムやアルゴンなどの貴ガス(以前は希ガスと書かれましたが、近年は「貴」が使われます)元素は化合物をほとんど作りませんが、とくにヘリウムの化合物は現在でもわずかしか知られていません。これまで報告されている化合物は超高圧条件下でしか存在できないとされてきましたが、今回その「常識」を打ち破る化合物が発見されました。
東京大学理学部の廣瀬敬教授らと、東京科学大学、北海道大学そして台湾国立中央大学の研究者の合同グループは、最近鉄のヘリウム化合物を高圧下で合成し、その化合物の構造が大気圧下でも保たれることを発見しました 。廣瀬先生らは、高圧下での研究によく用いられるダイヤモンドアンビル(2つのダイヤモンドの間に試料を入れて加圧することで超高圧状態とする器具、注2参照)を使い、さらにレーザー光を当てて高温にする手法によってヘリウムの化合物を合成しました。
金属の単体は、たいていの場合体心立方格子、面心立方格子、六方最密格子のいずれかの結晶構造をもっています(図1)。鉄の単体は室温付近では体心立方格子が安定で、高温にすると面心立方格子が安定となります。一方高圧下では六方最密格子になります。六方最密格子の構造は少し分かりにくいのですが、図1にその構造の成り立ちを示しました。六方最密格子は明らかに体心立方格子よりは密度が大きくなります。

図1 体心立方格子(青)、面心立方格子(橙)、そして六方最密格子(緑)の説明。
六方最密格子は球を平面上に隙間なく積み重ねていくとできる構造の1つで、1層目の隙間の上に2層目を敷き詰め、さらに3層目は1層目の球の真上に敷き詰める。これを繰り返していくと六方最密格子となる。黒や青の線は単位格子を表している。

 今回報告された論文[1]によれば、様々な圧力と温度の下で鉄とヘリウムの反応を試みた結果、いくつかの構造の鉄とヘリウムの化合物が得られたとのことです。例えば15G Pa(15万気圧)の圧力で 1180℃で反応させると、その圧力の際の鉄単体よりは30%も体積が膨らんだ六方最密格子(多少ゆがんだ構造)の物質が観測されました。なんと得られた物質を大気圧、室温の状態においてもその結晶構造を保っていることが観測されたのです。また、実際にその物質にはヘリウムが含まれていることも別の分析法で確認されました。
上記の条件以外にも、最大53.5G Paまで、様々な条件で実験を行い、六方最密格子だけでなく、面心立方格子の構造を持つ鉄―ヘリウム化合物も得られました。これらの鉄とヘリウムの原子数の比率はFe : He =1 : 0.06から最大1 : 0.48までであったということです。
高校の化学でも習う結晶格子中の原子の数え方を六方最密格子の結晶に当てはめて考えてみましょう。例えば図2aの六方最密格子に鉄原子をはめ込むと図2b(または図1cとf)のようになります。この場合、第3層(最上層、図1c、f)では図に示す5個の鉄原子のうち4個は単位格子の辺が原子の中心を通っていて、それぞれの原子の1/4が単位格子内に含まれると考えられるので、結局4個で原子1個分が単位格子内に含まれことになります。残りの1個の原子は半分が単位格子内に入っています。よってこの層の原子は1.5個分が単位格子に含まれます。第2層の原子(図1 bと e)については、4個の原子はそれぞれ1/2個分が単位格子内にあるので、4 × 0.5 = 2個分、さらにもう1個の原子は完全に単位格子に入っているので合わせて3個分が含まれることになります。第1層は第3層と同じなので、1.5個分。従って鉄は合計1.5 + 3 + 1.5 = 6個分が単位格子に含まれます。もしヘリウム原子が図2cのように単位格子の8つの角に入り込んだとすると1/8 × 8で1個分が単位格子に含まれることになります。こう考えるとこの場合はFe : Heの原子数比は6 : 1 = 1 : 0.167となります。先に述べたようにこの比が最大1 : 0.48ということは、図2cとdに示したよりは多くの鉄原子の隙間にヘリウムが入り込んでいることを示します。

図2 高圧下で六方最密格子(a)となる鉄単体の構造(b)と、ヘリウムが鉄の固体に侵入した構造の例(c,d)。へリウム原子は正三角形に並んだ3つの鉄原子の隙間に位置している。

 鉄とヘリウム化合物の存在は、単に珍しい化合物を作ったということ以上に大きな意味を持っています。ビッグバン後、宇宙ができたときは原子の中では水素原子がまず生成し、それからヘリウム(特に質量数3の同位体3He)ができたとされます。地球の中心部は鉄が多く存在すると考えられており、しかも非常な高温高圧になっているのです。今回の結果は地球形成時に多くのヘリウムが地球深部に取り込まれた可能性を示唆しています。ハワイの火山などのガスには比較的3Heの割合の多いヘリウムガスが観測されるそうで、そのヘリウムガスが地球深部由来であることを示している可能性が高い[2]ということも、この結果は示しているのです。意外なところからおもしろい結論が出てくるものですね。それではまた次回。

 

[1] H. Takezawa, H. Hsu, K. Hirose, F. Sakai, S. Fu, H. Gomi, S. Miwa and N. Sakamoto, Phys. Rev. Lett., 2025, 134, 084101. https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.134.084101
[2] https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/10669/ 2025年4月30日閲覧

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坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっていました。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。