はじめに
アジ化ナトリウム(NaN3)は抗菌作用があり、土壌殺菌剤や除草剤として農業など、広く産業用に使われています1)。また、研究室でも防腐剤としてよく見かけます。私の在籍した研究室では抗体を購入するとすぐに、0.02%NaN3を添加していました2)。先輩から抗体が腐らないように入れると説明されました。また、衝撃で爆発して窒素ガスを生成する性質があり、1999年まで自動車のエアバッグの起爆剤に使われていました(2NaN3 → 2Na + 3N2)。現在では、毒性があるため使用されていません。
化学構造
NaN3は白色または無色、無味、無臭の結晶です。式量65.01、融点275℃、構造は次の通りです。
Na+・N–=N+=N–
アジ化物イオンN3–は次の共鳴構造をとると考えられています。
水によく溶け、弱塩基性を示し、酸性にすると刺激性のあるアジ化水素(HN3)を発生します。この化合物も爆発性があります。
毒性1)
NaN3は経口摂取されると、すみやかに消化管から吸収されます。また、胃内では胃酸と反応してHN3を発生します。体内に吸収されたN3–はヘム鉄(Fe3+)に結合します。ミトコンドリアの呼吸鎖(電子伝達系)のcomplexIV (cytochrome c oxidase)はヘム鉄を持つため、N3–によりその活性が阻害されます。その結果、細胞内で生体エネルギーのATP合成ができなくなります。シアン、ヒ素、一酸化炭素も同じ作用機序で毒性を持ちます。また、赤血球中のヘモグロビンもヘム鉄を持つので、N3–が結合し、酸素運搬を低下させます。また、生体内ではN3–からNOが生成され、血管拡張や神経伝達に影響します。NaN3の毒性はたいへん強く、かつ、速やかに発現します。0.5mg/kg(体重) 以上の経口摂取では、数分以内に悪心、嘔吐、頻脈が見られ、重症化すると痙攣、呼吸困難、低血圧となり、代謝性アシドーシスを伴う昏睡から致死的となります。致死量は経口で10 mg/kg(体重)、または、700mg とされています。
事故例
我が国では、NaN3は従来から研究室や産業界で広く使われてきました。しかし、1998年から一変しました。8月、新潟市の木材防腐処理会社の支店でポットのお湯にNaN3が混入され、支店長ら10人に中毒症状がでて、9人が入院しました。犯人はその支店の社員でした。支店では過去にクロムを検出するための試薬としてNaN3を使用していました。10月には、三重県の大学研究室で6人に中毒症状がでました。続けて、愛知の国立研究機関や京都の国立病院でも集団中毒が見られました。多くは共同使用の電気ポットにNaN3が混入されていました。職場環境に注意が必要かもしれません。幸いこれらの事件で死亡者はありませんでしたが、連続集団薬物中毒を重視した厚労省はNaN3を1999年に毒物及び劇物取締法による「毒物」に指定しました3)。現在、濃度0.1%以上のNaN3が毒物として規制されています。
(症例)4)
大学院生が駐車中の車の運転席で意識不明で発見されました。救急通報されましたが、死後硬直があり、死亡と判断されました。車内の床に嘔吐の痕跡があり、助手席に置かれたポーチ内にバイアルがあり、中に数mgの白い粉が入っていました。発見の1時間30分前にハンバーガーとコーヒー1杯を購入していました。血液の定法によるLC/MSを用いた薬物分析ではカフェイン、ニコチン、コチニンが検出されました。また、血液中COHb7.2%であり、喫煙者として矛盾しない濃度でした。白い粉は通常の薬物分析では、何も薬物は検出されなかった。死亡者が所属する研究室の教員から研究室にNaN3があるとの情報提供があった。NaN3を服用すると直ちに嘔吐があり、現場の状況も考慮すると、NaN3中毒が疑われました。白い粉について、NaN3検出を目的として、誘導体後にヘッドスペース法で分析すると、82%のNaN3であることが明らかとなりました。また、血液から1.1μg/mL、尿から7.5μg/mLのNaN3が検出され、死因はNaN3中毒と確定しました。
終わりに
NaN3は従来、研究室で普通に試薬として使われていたものが、連続集団中毒の発生をきっかけに、毒物に指定されました。その結果、薬物庫保管や使用記録の記載など、管理が厳重になり、個人的には使いにくくなりました。薬物は悪用されれば、影響が大きいことを思い知らされました。
(参考)
1. 上条吉人. アジ化ナトリウム. 臨床中毒学 第2版. pp.480-483. 医学書院. 2023.
2. 抗体の基礎 第2週:抗体の保管と取り扱い. Abcam ホームページ.
https://www.abcam.co.jp/content/antibody-training-course-from-selection-to-validation-part-10
3. アジ化ナトリウム及びこれを含有する製剤の取扱いについて. 各都道府県知事あて厚生省医薬安全局長通知. 平成10年10月22日https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta7560&dataType=1&pageNo=1
4. Meatherall R and Oleschuk. Suicidal Fatality from Azide Ingestion. J Forensic Sci, 60(6), 666-667: 2015. doi: 10.1111/1556-4029.12857