モリブデン(Mo)~発見前から「モリブデン」と呼ばれていた元素

モリブデンは、合金鋼への添加元素、白熱電球のフィラメントなどの補助部材、高融点・高強度の構造材などとして使われています。しかし資源量は比較的少なく、産出量の首位は中国で年間約10万㌧(世界の約4割)、これに北米と南米の国々が続きます。

 

鉛の仲間と思われていた鉱物

古代ギリシアでは、擦ると跡が残る鉛や黒鉛(石墨)のことをmolybdosモリユブドスと呼んでいました。これは「暗い金属」という意味で、黒く残る跡のことを表しているようです。モリブデンの鉱物である輝水鉛鉱の主成分は硫化モリブデン(Ⅳ)(MoS2)ですが、鉛の鉱物である方鉛鉱と外観が似ているので、molybdosから派生した名(molybdainaモリユブダイナ)で呼ばれていました。なお、日本語の「水鉛」はモリブデンのことです。

スウェーデンの薬剤師C.シェーレは1778年、輝水鉛鉱を硝酸で処理して酸化物(酸化モリブデン(Ⅵ)MoO3にあたる)を得、輝水鉛鉱が鉛の鉱物ではないことを明らかにしました。続いて1781年、シェーレの友人でスウェーデンの化学者P.イェルムは、その酸化物を石炭で還元して単体を分離し、それまでの鉱物名が元素名となりました。

一方で、鉛(Pb)の語源はラテン語のplumbumプランバムで、その意味は「流れるように軟らかい金属」です。英語表記のleadは、語頭のpが脱落してできたと考えられていますし、かつて黒鉛は鉛を含むと考えられ、日本語の「黒鉛」は英語のblack leadの直訳とされます。また、鉛筆は明治初期には「木筆」などとも言われましたが、後にlead pencilの訳語が使われるようになったとする説があります。黒鉛が炭素であり、鉛を含まないことが解明されたのは18世紀末から19世紀初頭の頃のことですが、「鉛」の語は消えませんでした。

モリブデンを含む合金鋼

モリブデンの鉱石は硫化鉱物である輝水鉛鉱のほかに酸化鉱物も知られています。主な産地は南北アメリカ大陸とアジアですが、モリブデンは地殻中の存在が少なく、供給量には限りがあります。モリブデンを含む合金鋼に関わる約百年前の史話をご紹介しましょう。

第一次世界大戦でドイツが使用した武器のうち、毒ガスと共に恐れられたのが、陸軍が使用し「太っちょベルタ」(Dicke Bertha)と呼ばれたクルップ社製の巨大な榴弾砲(口径42㎝)でした。太っちょベルタの自重は43㌧、運搬には分解せねばならず、戦地で組み立てて砲台に据えられ、砦や塹壕の攻撃に使われました。1㌧の砲弾を14㎞先まで飛ばせましたが、必要な火薬は大量で、2,3日砲撃を続けると筒の壁が反って砲身が変形するほどの怪物のような代物でした。

モリブデンが添加された合金鋼は1894年にフランスで初めてつくられ、軍用装甲板に応用されていました。砲身用の鋼鉄の強度を高めようと模索したクルップ社も、モリブデン添加の有効な処方を見出しました。当時知られていたほとんど唯一の鉱山はアメリカのロッキー山脈にあり、ドイツはその採掘権を入手し他国に渡しませんでした。

モリブデン鉛鉱(水鉛鉛鉱)PbMoO4 (米・アリゾナ州産)

アメリカは1917年まで参戦しなかったものの、自国に産するモリブデンがドイツに渡って英仏への攻撃に使われることを阻めなかったのです。鉱山労働者たちは、こうした事態を悔しがり、モリブデンの元素名(molybdenum)をもじってMolly be damned.(くたばれモリー)と言って嘆いたといいます。

モリブデンの用途

モリブデンを含む合金鋼は19世紀末から工業的に広く使われるようになり、高速度鋼、ステンレス鋼、耐熱鋼などの開発を促しました。モリブデンはまた、現在、モリブデン酸の塩類として触媒、顔料、肥料、半導体などにも使用されています。以下には代表的な用途を説明します。

合金鋼: 鋼は一般に水や油に浸して急冷する(焼き入れ)と硬化しますが、もろくなります。しかし酸化モリブデン(Ⅵ)やフェロモリブデン(FeMo)とともにその他の元素を添加すると、鋼の組織内に微細な炭化物ができて硬度を保ちます(これを「二次硬化」といいます)。こうしてつくられるのがクロムモリブデン鋼、マンガンモリブデン鋼、ニッケルクロムモリブデン鋼などで、とりわけ高速度工具鋼(ハイス)に適します。

潤滑油 硫化モリブデン(Ⅳ)は摩擦係数が小さいことから、工業機械や内燃機関の潤滑油用添加剤として用いられます。硫化モリブデンが配合された油類は深緑色を呈します。緑を帯びた灰色の機械油を見られた覚えはないでしょうか。

硫化モリブデン(Ⅳ)の結晶は黒鉛に似た平面層の積層構造で、ファンデルワールス力で結合した層どうしは容易にずれ合い、高荷重や衝撃荷重のもとでの摺動しゅうどう(機械の装置などを滑らせながら動かす)でも強い潤滑効果を示すのです。ほとんどの溶媒に溶けませんが、油に懸濁させるとグリースとして良好な潤滑効果を示します。

モリブデングリース (硫化モリブデン(Ⅳ)を含み、建設機械などの産業用機械のギアボックスや圧延機軸受などに用いられる極圧性グリースです)

触媒: モリブデンの化合物には+Ⅱ価から+Ⅵ価までのものがあります。そして酸化状態を変えることができるので、化学反応において触媒や阻害剤などになれるのです。その代表は、石油から硫黄化合物を除去する水素化脱硫や、メタノールからホルムアルデヒドへの酸化といった反応での触媒です。

 

参考文献:
「元素大百科事典」渡辺 正監訳(朝倉書店,2008年)
「スプーンと元素周期表 「最も簡潔な人類史」への手引き」S.キーン著,松井信彦訳(早川書房,2011年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)
タングステン・モリブデン工業会のホームページ/www.jtmia.com

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。