ハロゲン化銀を感光剤とする白黒の銀塩写真では,フィルムを露光後に現像してネガ(陰画)を得ます(フィルム現像)。次に,そのネガを原画として印画紙を露光し,現像してポジ(陽画)を得ます(印画紙現像)。今回は銀塩写真と共に関連する技法も取り上げます。 |
銀塩写真の始まり
幕末の1862(文久2)年にロンドンで開催された2回目の万国博覧会には,日本の遣欧使節団が初めて参加しました。その一行の中にいた福澤諭吉はExhibitionを「博覧会」と訳したとされます。同博覧会にはパノラマレンズと三脚付カメラが出品されました。カメラは,この時代になると露光時間が短くなり,旅行に持参するなど,より身近になりつつありました。
ロンドン万国博覧会のサムライたち
出典:”Japanese ambassadors in London”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)
銀画像をつくる写真の技術はフランスの画家L.ダゲールによって1839年に発表されたダゲレオタイプ(daguerreotype)に始まり,彼は〝写真術の開祖〟とも称されます。(⇒「デジタル化以前の写真に不可欠だった元素」はココをクリック)
ダゲレオタイプでは,銀板や銀めっき銅板の銀の面を研磨したものを原板として使います。先ず原板の表面にヨウ素蒸気を当ててヨウ化銀(AgI)の薄膜をつくり,これを感光剤として露光した後に水銀蒸気中で現像してからチオ硫酸ナトリウム(ハイポ,Na2S2O3)で定着しました。ダゲレオタイプでは銀画像(ポジ)が直接得られ,保存の際には銀画像の剥離を防ぐためにガラス板で被います。
なお,定着用の化合物の組成式はかつてはNa2S2O4(sodium hyposulphite)と誤って認識されていたので,今でも「ハイポ」と呼ぶ習慣が残っています(Na2S2O4の名称は亜ジチオン酸ナトリウムです)。
感光剤は,硝酸銀(AgNO3)と臭化カリウム(KBr)をゼラチンの懸濁液中で反応させて生じる臭化銀(AgBr)の微結晶に増感剤・安定剤・硬膜剤(感光膜の軟化を防ぐ)を添加した感光乳剤になり,感光乳剤の支持体は樹脂フィルムに変わりました。感光乳剤中の臭化銀は粒径が揃った微粒子(長径1μm未満が約6割,1~2μmが約3割)です。例として35㎜フィルムの1コマをサッカーのピッチの面積までに拡大(約3000倍)すると,感光剤の微粒子は直径約3㎜の砂粒ほどの大きさになり,それがピッチ一面に厚さ約4㎝の層を成して約100億個並んでいるのに相当します。
ダゲレオタイプでは露光に概ね1時間を要しましたが,その後の1世紀余の間に感光剤の感度は飛躍的に向上しました。
光によって化学変化を受ける物質は少なくありませんが,写真に使うには次のⅰ~ⅲの条件を満たすことが必要です。ハロゲン化銀は水に対する溶解度が小さく,微細粒子として沈澱するので,ⅲについても好都合です。
ⅰ)特殊な用途の写真を除いて可視光線で感光すること。
ⅱ)感光性が高いこと。
ⅲ)調製過程で生じた不純物を除去しやすいこと。
感光乳剤に加えられるゼラチンは,臭化銀の微粒子の保護コロイドとなり,支持体への接着性を高める作用も有します。ゼラチンの保護作用は,臭化銀粒子を均一に分散させると共に,現像の効率を高める効果もあります(後述)。
潜像の生成,現像と定着
臭化銀の微結晶が光を受けると,フィルム表面に銀の微小粒子である「潜像核」(現像中心,還元中心とも)が形成されます。潜像核は,臭化銀の光化学反応によって生じ,それが集積してできたもので,肉眼では見えませんが,現像の過程で可視化します。
潜像核の生成過程では,感光層表面に銀の単原子,二量体,三量体などが先ず生じます。二量体以上は比較的安定であるのに対して,単原子は不安定で,銀イオンになって電子を放出し,この電子は酸素に捕獲されます。一般的な潜像核は銀原子4個から成るクラスター(四量体)であると考えられています。ここで,二量体は2個の銀原子が近接して一つの粒子のようになった状態のことで,原子3個,4個から成る状態はそれぞれ三量体,四量体です。
感光剤には,二量体以上を生じさせる強さの光刺激に対しては鋭敏に反応し(高感度性),生成物が単原子で終わる程度の弱い光刺激を長期かつ複数回受けても変化しない(保存安定性)という特性を兼ね備えていることが求められます。
光吸収で発生する励起子は結合エネルギーが小さく,室温で直ちに解離して正孔(h+)と光電子を生じます。銀イオン(Ag+)が還元されて生じた二量体(Ag2)は正孔と反応して不安定なAg2+となり,速やかに銀イオンを放出して銀を生じます(式①)。銀は更に解離して自由電子と銀イオンになります(式②)。
Ag2+h+→[Ag2+]→Ag+Ag+ …①
Ag→Ag++e- …②
全体の反応 Ag2+h+→2Ag++e- …①+②
正孔の移動度*(1.7㎝2/Vs)は,光電子(60㎝2/Vs)よりも小さいため,両者の再結合は起こりにくく,二量体から光子の吸収により自由電子が発生します。この過程は潜像形成への第一歩で,化学増感で強化されます。
*)荷電粒子の定常状態の速度 v [m/s]は電界 E [V/m]に比例し,その比例定数が移動度 μ です。v=μEよりμの単位は[m/s]/[V/m]=[㎡/Vs]
感光剤の微結晶には,多数の可動性の格子間銀イオンと,感光剤表層部に電子が存在しています。微結晶が光を吸収して生じた光電子は感光核に捕獲され,そこで銀イオンから銀原子が生成します。さらにこの過程が繰り返されて潜像核が形成されるのです。
現像液は現像主薬,促進剤,保存剤などから成ります。臭化銀は比較的還元されやすい性質であることから,現像主薬には潜像だけを還元して,他は還元しない物質が適します。
現像主薬には芳香族の有機化合物が多く用いられますが,単独では還元作用を示しにくく,促進剤として炭酸ナトリウム(Na2CO3)などのアルカリが添加されます。ここで,アルカリはゼラチンを膨潤させるので感光層内部まで現像の反応を行き渡らせる上で効果的ですが,現像主薬のアルカリ性水溶液は空気中の酸素によって酸化されやすいので,還元作用をもつ亜硫酸ナトリウム(Na2SO3)などが保存剤として加えられます。
潜像核をもつ臭化銀粒子を現像液に入れると,潜像核は現像主薬から電子を受け取って銀イオンを引き付け,臭化物イオンは現像液中に移行します。この過程を繰り返して潜像核の周囲の臭化銀微粒子は全て銀になります。
なお,現像は暗室で行われますが,真の暗黒では作業が困難なので,フィルムを感光させにくい可視光で照明されます(安全光照明)。普通のフィルムは600nm(ナノメートル,1nm=10-9m)より長波長の光に対しては感度が低く,可視光は380~800nmの範囲であることから,暗室灯には600~700nmの赤色光を出すものが使われます。
暗室の安全光照明
出典:Douglas Whitakerによる”SafelightAmberForBlackAndWhite”ライセンスはCC BY-SA 3.0(WIKIMEDIA COMMONSより)
サバティエ効果とその原理
フィルム現像が途中のネガを露光してからもう一度現像液に浸すと,ネガの白黒が逆転してポジのようになります。この現象は,現像中の過誤による露光などから経験的に見出され,フランスの科学者A.サバティエによって1862年に記述されたので「サバティエ効果」と呼ばれます。
具体的には,フィルムの露光(第一露光)の後の現像途中に均一な露光(第二露光)を受けると,銀画像の低露光部から反転が始まり,露光量の中間部が最低濃度となって陽陰の反転画像が得られます。サバティエ効果は,現在においても写真技法の一つで,高露光の像(ハイライト部分など)と低露光の背景などの境界線部に最低濃度部分が縁取りのように生じ,これをプリントすると境界線部に黒い線が出ます。次の図(感光剤の断面)は第二露光で明暗の反転画像ができる過程を示したものです。
現像でできたネガ画像は第二露光の際に光のフィルターの役目を果たし,画像濃度が大きい部分(❶,原画では中間明部)では,未現像部に達する光量が少なくなって画像濃度はあまり増加しません(❷)。これに対して,画像濃度が小さい部分(❸,原画では中間暗部)は光を強く受け,画像濃度が大きく増加します(❹)。すなわち,フィルム現像によって現れたネガ画像が残存していた感光剤に焼き付けられるのです。
なお,サバティエ効果はソラリゼーション(solarization)とは異なります。サバティエ効果では,第一露光に次いで均一に露光することで画像の明部が暗くなり,暗部は明るくなります。ソラリゼーションでは,フィルムを過剰に露光することで画像の明部が反転し,暗部はより暗くなります。
ソラリゼーションは,一旦生成した潜像が過剰の露光で壊されることで起きます。例えば,太陽を写したフィルムを現像すると,ネガでは黒くなるべき太陽が透明ないしは灰色になることがあります。X線などが強くあるいは長期に作用したときにも起こります。
調色とその機構
写真の調色(toning)は,画像中の銀の一部または全部を別の金属化合物に置き換えたり,色素で置き換えたり追加したりして黒色の銀画像を加工する技法です。
調色には直接法と間接法があります。直接法では,次式のように,銀画像に硫化ナトリウム(Na2S)を作用させて硫化銀(Ag2S)に変換します。画像は黒褐色ないしはセピア色になります(硫化セピア調色)。
2Ag+Na2S+2H2O→Ag2S+2NaOH+H2
間接法は,銀画像を酸化して銀イオンにしてから(漂白,式③),他の着色化合物に変換します。次の例(鉄調色)ではヘキサシアノ鉄(Ⅲ)酸カリウム(K3Fe(CN)6)と塩化鉄(Ⅲ)(FeCl3)で処理することによって青色系の画像を得ます(着色,式④)。
4Ag+4K3Fe(CN)6→Ag4Fe(CN)6+3K4Fe(CN)6 …③
Ag4Fe(CN)6+4FeCl3→Fe4[Fe(CN)6]+12AgCl …④
鉄塩の代わりにニッケルや銅の塩を使えば赤系色に変えることができます。次の例はニッケル塩で調色したものです。
調色の例
〔左上〕元の写真 〔右上〕硫化セピア調色
〔左下〕青色鉄調色 〔右下〕紅色ニッケル調色
参考文献
「新版工業化学概論 上巻」功刀雅長・吉澤四郎・田村幹雄著(丸善,1976年)
「最新写真処方便覧」庄司 実編(写真工業出版社,1983年)
「写真の化学」笹井 明著(写真工業出版社,1987年)
「モノづくり解体新書・二の巻」(日刊工業新聞社,1992年)
博覧会・近代技術の展示場(国立国会図書館のホームページ,https://www.ndl.go.jp)

園部利彦

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