銀(Ag)-デジタル化以前の写真に不可欠だった元素

 写真の技術は,18世紀頃から銀塩の感光性が巧みに応用され始めて以降,撮影と現像の両面からなされました。今回は,銀の化合物に感光性が見出され,写真技術の基礎が確立するまでの歴史をみていきます。

銀塩写真の日本への到来

江戸時代後期の蘭学者,大槻玄沢おおつきげんたくは,『蘭説弁惑らんぜいべんわく』(1788年刊)の〈巻之下〉で,レンズと鏡を備えた暗箱(カメラ・オブスクラ,camera obscura)について,“箱のうちに硝子の鏡を仕かけ、山水人物をうつしける器、此方にて冩真鏡しゃしんきょうとよべるものあり。ト蛮製のよし”と紹介しています。この道具を,文中では「どんくる・かあむる」と呼び,“甚だ工夫したる器なり。実に冩真鏡の名、所を得たりといふべし”と記しています。日本における「写真」という語の使用は,この記述に始まるとされます。

幕末の1848(嘉永元)年,オランダ船が長崎に写真術をもたらしました。それはダゲレオタイプ(後述)で,1857(安政4)年に撮影された薩摩藩主島津斉彬なりあきらの像が日本最初の写真とされています。

 

 

 

 

 

 

ダゲレオタイプによる島津斉彬の肖像
出典:宇宿彦右衛門による”幕末期の大名、薩摩藩第11代藩主島津斉彬の写真。”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

写真術はその後,蘭学やペリーの来航を機に諸藩へと広がり,西には長崎に上野彦馬ひこま,東では横浜に下岡蓮杖れんじょうが写真館を開業しました。以来,日本で最初のカラーフィルムとして「さくら天然色フヰルム」が小西六写真工業(現・コニカミノルタホールディングス)から発売された1940(昭和15)年までの約100年間は,銀塩による白黒写真(モノクロ写真)が中心の時代でした。


白黒写真のネガとポジ
 ・未露光部分には銀画像が無い。(上のネガ)
 ・露光部分には銀画像が定着している。(下のネガ)

 

銀の化合物に見出された感光性

ある種の銀塩が徐々に黒くなることは,中世の錬金術師が発見したとされますが,その原理については,空気か太陽熱の作用であろうと漠然と考えられる程度にとどまっていました。
太陽光が銀塩に何らかの化学変化を生じさせることが報告されたのは18世紀に入ってからでした。ドイツ・ハレ大学のJ.シュルツェは,ある日,ガラスびんに入れて日光の当たる窓枠に置かれていた硝酸が変色していることに気付きました。その硝酸は使用済みのもので,銀を溶かし込んでいて硝酸銀(AgNO)を生じていました。
変色の原因をつきとめようとしたシュルツェは,この変化が光か熱のどちらかによると考えました。彼は先ず,硝酸銀をかまで熱しても黒く変色しないことを確認し,熱を変色の原因から除外しました。次に,硝酸銀を入れたガラス瓶の一部に光を通さないおおいをかけて日光を当て,覆いの無い部分だけが変色することを確認しました。このことが銀塩類の感光性発見の端緒となりました。

その後,イギリスのJ.ハーシェルらは,太陽光をスペクトルごとに銀塩類に当て,各々の黒化速度が異なることを確かめました。1777年,スウェーデンの化学者C.シェーレは,紫外線は塩化銀(AgCl)を黒化させる傾向が特に強く,黒化した後はアンモニア水に溶けなくなること,そしてそれは塩化銀が還元されて銀が生じたことによる,と結論付けました。
〔塩化銀の黒化〕 2AgCl→2Ag+Cl
〔塩化銀の溶解〕 AgCl+2NH→[Ag(NH)]+Cl
ハーシェルはまた,ハイポ(NaSO,チオ硫酸ナトリウム)が良好な定着剤になることを発見し,「写真術」を意味する用語として,ギリシア語で「光」を意味するφωςプォースと「記録」を意味するγραφηグラプェーからphotographyを用いました。陽画(positive)・陰画(negative)の用語を導入したのもハーシェルです。

イギリスのT.ウェッジウッド(陶芸家J.ウェッジウッドの子)は,硝酸銀水溶液を塗布した白い紙や皮革の上にステンドグラスなどを載せて光が当たる所に置くと,黒くなることを示しています。この場合,光が当たった部分が黒化するので,できるのは陰画です。このときの明るさは蝋燭ろうそく程度が適量で,太陽光では紙全体が黒くなりました。ウェッジウッドの実験は1802年の論文で発表されて広く知られるようになり,1803年には化学の教科書にも載りました。

 

銀画像を定着させる方法とその改良

19世紀になると,画像の効果的な定着について研究されました。定着とは,現像でできた画像を安定化するための処理で,露光後,未感光部分に残っている感光剤を除去して再び感光しないようにすることです。

フランスのJ.ニエプスは,瀝青れきせいアスファルトを油性溶剤で溶かしたものを銀メッキ銅板に塗ってからカメラ・オブスクラに入れて露光させました。瀝青アスファルトは光が当たった部分だけが硬化し,露光後にラベンダー油で未硬化部分を洗い流すと,原画の明部には硬化した瀝青アスファルトが残り,その部分だけが厚くなります。ニエプスは石版印刷(リトグラフ)からヒントを得て,この金属板を印刷原板として使うことにしました。すなわち,原画の暗部は原版では地の金属になっており,そこにインクを入れて印刷原版とし,何枚も複製ができるようにしました。こうして1822年,画像が初めて紙の上に再現されたのです。
ニエプスは,この方法では太陽で描いているとして,ギリシア語の太陽神ヘーリオス(Ηλιος)からヘリオグラフィー(Heliography)と呼びました。次の図は,ヘリオグラフができるまでの手順の概略です。

1827年の夏にニエプスが自宅二階の高窓から見える建物の一部と周辺の景色を撮った写真には,太陽が連続して輝いています。それは露光に8時間も要したからです。こうして作られたニエプスの最初のヘリオグラフ「ル・グラの窓からの眺め」は,2003年,アメリカの雑誌『ライフ』で〝世界を変えた100枚の写真〟に選ばれました。

 

 

ニエプスのヘリオグラフ 「ル・グラの窓からの眺め」
出典:Joseph Nicéphore Niépceによる”Point de vue du Gras”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

ヘリオグラフの像は銀ではなく印刷インクでした。フランスのL.ダゲールは,ニエプスと協力し,銀塩に生じた潜像をハイポで洗い流して定着させる手法でヘリオグラフィーを改良しました。これにより銀が初めて画像になったのです。
ダゲールは,パリで見世物小屋を開業し,そこで客に見せるパノラマやジオラマ(幻視画)を描いていました。ダゲールは,カメラ・オブスクラを使ってできる像をなぞって下絵を描いていましたが,彼はその像を紙に定着させたいと考えるようになりました。

ダゲールの方法では,先ず銀メッキ銅板をヨウ素蒸気の中に置いて,表面にヨウ化銀(AgI)の薄層をつくります。露光は20~30分で,露光後にこの板を水銀蒸気の中に置いて現像します。このとき,感光で生じた銀はアマルガムになり,そこが暗部になります(アマルガムからの水銀の揮発を抑えるために表面をガラスで保護する必要がありました)。最後に未変化のヨウ化銀を除去します。
当初は定着に食塩が使われましたが,後にハイポの方が速いことが判ってからはハイポが使われるようになり,露光時間も短縮されると,像の鮮明さが増しました。
〔露光時の反応〕 2AgI→2Ag+I
〔定着時の反応〕 AgI+2NaSO→4Na+[Ag(SO)]3-+I

ダゲールは,ニエプスの死後の1837年にこの写真術を完成させ,自身の名前からダゲレオタイプ(Daguerreotype)と名付けました。この発明は,共同研究の契約を引き継いでいたニエプスの息子I.ニエプスとダゲールの二人から国によって買い上げられ,公開されました。
ダゲレオタイプには,カメラのほかに銀メッキ銅板,ヨウ化装置,水銀現像装置に加えて,アルコールランプ,薬品瓶,磨き粉など,総重量で50㎏にも達する装備が必要でした。ダゲレオタイプ用のカメラでは,初めてギロチン式シャッター(はじめに金属板が遮光しており,それを移動させて光を通した後に別の金属板が移動して再度遮光する)が採用されました(1845年)。この頃から本格的なカメラが登場し,1846年にはドイツのイエナにC.ツァイスの光学工場が設立されました。
露光が20分程度といっても,風景などの記録ならばともかく,肖像写真には不向きでした。その後,ヨウ素を臭素や塩素に代えて露光時間が10~90秒へと更に短縮され,ダゲレオタイプは,欧州では1850年代後半まで, アメリカでは1860年代半ばまで使用されました。

 

参考文献■
「生活の古典双書6 紅毛雑話・蘭説弁惑」森島中良・大槻玄沢著,杉本つとむ解説・注(八坂書房,1972年)
「写真の夜明け」B.ニューホール著,小泉定弘・小斯波 泰訳(朝日ソノラマ,1996年)
「独-日-英 科学用語語源辞典 ギリシア語篇」大槻真一郎編著(同学社,1997年)
「写真の発明者ニエプスとその時代」O.ジョワイユー著,持田明子訳(パピルス,1998年)
「図説写真小史」W.ベンヤミン著,久保哲司編訳(筑摩書房,2019年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。