アンチモン(Sb)~古くから身近だった元素

古代には輝安鉱そのものが「アンチモン」と呼ばれ、その黒色粉末が眼の隈取り、眉毛や睫毛まつげの染色などに使われました。アンチモンの単体は、光沢を有し硬くて脆い銀白色の金属で、活字合金の成分としても知られています。

アンチモンの語源と俗説

アンチモンの元素記号(Sb)は輝安鉱(三硫化二アンチモン Sb2S3)によります。古代エジプト語で軟膏を意味するsdmセデムがギリシアに入ってstimmiスティンミstibiスティビとなり、それがラテン語のstibiumとなりました。輝安鉱を表すstibniteはこの系列の語です。

一方で元素名は、先のstimmiがアラビアに伝わってから定冠詞al が付いたり転訛したりしてal-ithmidとなり、それが欧州に再度入ってantimoniumになったものです。

ところが、元素名のスペルの始まりが「反対の」を意味する接頭辞anti- と同じであることから、俗説の語源が作り上げられてしまいました。

ある修道会で豚にアンチモンを与えたところ、豚は丸々と太りました。アンチモンが駆虫薬として作用したらしいと考えられ、栄養不良の修道士に与えたところ、太るどころか中毒で落命してしまいました。それゆえ《僧侶(monk)に抗する》のanti-monkと名付けられたという説。また、アンチモンが単体では産しないので、《単一(monos)ではない》という意味のanti-monosに由来するという説などです。

輝安鉱とアンチモン

18世紀まで、輝安鉱は「アンチモン」と呼ばれていました。1707年、フランスの化学者N.レムリーは、「アンチモン」(輝安鉱)を分析した結果をまとめました。

レムリーによれば、それは重く、脆く、黒色で光沢を有し、無味無臭の硫黄に類似の鉱物で、薄板もしくは針状に結晶し、欧州各地の鉱山で他の金属に随伴して産出します。錬金術師たちは、それが火中で大部分の金属を貪り食うので〝赤い獅子〟や〝狼〟と呼び、また、多くの金属がこれに由来するとして〝金属の根源〟と呼びました。レムリーはさらに、この鉱物が多くの金属を侵すので、多数の金属と結合する鉛と関係があるに違いないと考えて〝聖なる鉛〟〝賢者の鉛〟とも呼ぶ、とも書いています。

その後レムリーは、輝安鉱の粉末に硝石などを混ぜて坩堝中で赤熱し、アンチモンの単体を得ました。現在でも、アンチモンの単体は、輝安鉱自体あるいはそれを焼いて酸化物にしたものを鉄屑とともに黒鉛坩堝中で加熱して還元することで得られます。

輝安鉱(中国・雲南省産)

日本国内では、愛媛県の市之川鉱山(西条市市之川)が輝安鉱の産地としてよく知られています。ここで採れた輝安鉱は、その大きさとともに刀のような研ぎ澄まされた美しさで珍重され、ロンドンの大英博物館やワシントンのスミソニアン博物館をはじめとして、世界的に有名な博物館や大学に鉱物標本として送られたほどです。明治期には長さが6cmで7kgもの大物も出たそうですが、盗難を防ぐため叩き壊してから坑外に持ち出されたという話も伝わっています。

15世紀から知られていた活字合金

ほとんどの物質の液体は、凝固時に体積が減少します。水は凝固の際に体積が増加しますが、数少ない例外です。活字を作る際、鋳型に入れた液体の金属が冷えるときに縮んだら不都合ですね。

活字合金は15世紀のドイツの金属加工職人J.グーテンベルクによって発明されました。アンチモンは凝固時に体積がわずかに増加するので、鉛に適量のアンチモンを加えることで精密な鋳造が実現します。

その代表的な組成は、鉛:61~94%、アンチモン:3~24%、すず:1~14%です。鉛が主体なので融解が容易(合金の融点は300℃前後)で、古い活字の再融解にも好都合です。アンチモンは耐摩耗性と適度の硬さを与え、錫は融解時の流動性を良くするとともに合金の脆さを除く効果があります。

活字(出典:PhotoAC)

活版印刷術は、火薬、羅針盤と並んで世界の三大発明に挙げられます。活版印刷は数多の印刷物を作り出し、人類の歴史を記録してきました。しかし現在では、製版・印刷技術の進展により、活字は姿を消そうとしています。

アンチモンの用途 今と昔

18世紀には、アンチモン製の容器にワインを一晩入れておくと催吐性に変わることが知られていました。これは「吐酒石」と呼ばれ、その作用はワインに含まれる酒石酸との反応で生成した酒石酸アンチモニルカリウム(K(SbO)C4H4O6・½H2O)によるものと考えられます。吐酒石は、かつては駆虫剤や催吐剤として使われましたが、副作用が強いため現在は用いられません。

このほかには、鐘の鋳造の際、錫に添加して銀らしい音色を与えるためや、金属鏡の製造などにも用いられましたし、アンチモンが銀を含めた大半の金属と混ざり合って金滓かなかすに変えるので、金細工師が金の精錬に用いたこともありました。

現在、アンチモンの産出は中国が世界の9割近くを占めています。中国では湖南省が輝安鉱の主産地で、広東省、貴州省などにも鉱山があります。

アンチモンの工業材料としての用途は多岐にわたり、鉛蓄電池の電極、軸受合金、半導体材料(ドーパント)、有機合成の触媒、ゴム・プラスチック用顔料、樹脂・繊維・紙の難燃化助剤などが挙げられます。しかし、毒性があることから代替素材の開発が進み、使用量は減少する傾向にあります。

 

参考文献:
「元素発見の歴史1」M.E.ウィークス,H.M.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「市之川鉱山物語」田邊一郎編著(現代図書,2016年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。