幻の元素だった!?「ニッポニウム」という元素のこと


※今回は「ニッポニウム」に関するお話です。前回のニホニウムとは全く別の元素です。

東北大学の小川正孝によって発見された元素は、周期表中の原子番号43の空所を埋める新元素として、かつて「ニッポニウム」と命名されました。しかし、原子番号43の未知元素は別の研究者により合成されてテクネチウム(Tc)と命名され、小川が発見した元素は実のところ、原子番号75のレニウム(Re)であることが判明しました。

小川正孝とニッポニウム

小川正孝は1865年、松山藩の江戸詰武士の家に生まれました。明治維新後に一家は松山に戻り、小川は松山中学校を首席で卒業しました。1881年に第一高等学校の前身である東京大学予備門に入り、1889年に帝国大学理科大学化学科の第一回卒業生となりました。

卒業後の約1年間は初代化学科教授であった英国のE.ダイヴァースに学び、その後静岡県の中学校に勤めましたが、1896年に第一高等学校に戻ってダイヴァースの無給副手となり、1899年に教授になりました。そして1904年、日露戦争の直前に英国へ留学しました。

英国では、稀ガス元素を次々と発見したことで知られていたW.ラムゼーの研究室に入り、新発見の鉱物である方トリウム鉱の分析をテーマとして与えられました。方トリウム鉱には、ウランとトリウムの他に未知成分が含まれるとみられていたからです。

小川は、精緻な実験の末に方トリウム鉱から0.1mg程度の未知化合物を得ました。彼は、それが未知元素(M)の+Ⅱ価の塩化物(MCl2)であるとみなし、未知元素の原子量を100と導き出しました。その当時は、原子番号42のモリブデン(Mo)と原子番号44のルテニウム(Ru)は既に発見されていましたが、原子番号43の元素は空白でした。小川は、これこそが空白を埋める元素だと考えたのです。

ラムゼーは「ニッポニウム」と名付けることを勧めました。小川は帰国後も研究を続け、論文を国内と英国で発表しましたが、他の研究者の追試でニッポニウムが確認されることはありませんでした。信頼性が揺らぎ始めた中、小川は1919年に東北大学の総長に選ばれ、その後も総長室の隣に個人実験室を設けて独りで実験を続けたのです。

幻の元素ではなかったニッポニウム

欧州では、1925年にドイツのW.ノダックとI.タッケの夫妻が原子番号75の元素(周期表で原子番号43の一つ下)を発見してレニウム(Re)と名付け、1937年にイタリアのE.セグレとC.ペリエがサイクロトロンでモリブデンと重水素の原子核を衝突させて原子番号43の元素の合成に成功しテクネチウム(Tc)と命名しました。テクネチウムは、1870年にロシアのD.メンデレーエフが周期表を発表したとき、原子番号25のマンガン(Mn)の次の周期(周期表で一つ下)にあることから「エカマンガン」とした元素です。

ニッポニウムは、その後「幻の元素」でした。ところが、小川の発見から90年後、東北大学の吉原賢二名誉教授が、その元素は以下の理由からレニウムであったと主張しました。

①発光スペクトルの波長がレニウムのそれと誤差範囲内で一致すること。
②小川は酸化物と塩素の反応で塩化物ができたと考えたが、塩化レニウム(ReCl2)は不安定であり、反応の生成物とは考えにくいこと。
③塩素との反応の生成物を+Ⅵ価の酸化塩化物(MOCl2(MOCl4※1と考えると、レニウムの原子量に近い値が得られること。

さらに吉原教授は、2003年に小川の遺品のX線写真乾板を解析することで、ニッポニウムがレニウムであったことを立証したのです。

もし小川が、自身が得た未知化合物について正しく考察していたら、原子番号75の元素の名前はニッポニウムになったかもしれません。しかし、小川が新元素を手にしたのは事実であり、彼の研究は日本の化学における大きな業績だと言えます。2013年、「小川正孝のニッポニウム研究資料」は日本化学会の認定化学遺産(第18号)に登録されました。


【小川記念園】
東北大学片平キャンパスに小川の後輩の眞島利行らの提案で設けられました。(仙台市営バス「東北大正門前」バス停から北へ歩いてすぐの角 仙台市片平市民センターの前) 

 

※1 誤記訂正(2018年1月18日)

参考文献
「科学に魅せられた日本人 ニッポニウムからゲノム、光通信まで」吉原賢二著(岩波ジュニア新書 2001年)
「化学者たちのセレンディピティー」吉原賢二著(東北大学出版会 2006年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。非常勤講師として2019年に名古屋工業大学「科学史」(工学部二部),2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」(全学部共通)を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。