金(Au)-金と江戸の文化・誹風柳多留から

 『誹風柳多留はいふうやなぎだる』から江戸庶民の心意気や洒落気質を味わう二回目では,金が詠み込まれた句を取り上げます。前回と同様に江戸の文化をご堪能ください。

江戸庶民と川柳の流行

俳諧の連句では,五・七・五(長句)を発句ほっく(これが現在の俳句です)とし,それに続けて七・七(短句),更に五・七・五と,交互に詠み継がれていきます。
これに対して,お題として出された七・七を前句まえくとして,それに五・七・五を付句つけくし合うのが前句付まえくづけです。前句付は17世紀も末に近い元禄の頃から庶民の間に流行し始め,一種の娯楽として,また懸賞的な要素もある短詩文芸として川柳の母体になりました。

例えば,「金堀かねほりと井戸ほりの気は十文字」という句は,前句「にぎやかな事にぎやかな事」への付句です。金山や銀山など多くの坑道では水平に掘進し,井戸は縦に掘るので,地中は十文字になり,さぞや賑やかなことだろう,という面白みです。

このように,前句と付句の妙味を味わい,洒脱さや軽妙さ,時には風刺や駄洒落さえも競い合うわけです。これが進み,前句(お題)を切り離して五・七・五だけの一句立てにしたものが後に川柳に発展したのです。

 

権勢を誇った源頼朝と放生会ほうじょうえ

放生会とは,捕獲した鳥獣・魚・虫を野に放して殺生を戒める儀式のことです。仏教的思想を取り入れた源頼朝も,功徳くどくを施すためにこうした法会ほうえを行いました。一時期は東国一円に殺生禁断の命が出され,放生会は鎌倉幕府を挙げての一大行事となりました。

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉・由比ケ浜に千羽の鶴を放つ源頼朝
(『大日本名将鑑』より)
出典:大日本名将鑑による” 右大将源頼朝”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

次の一句は,源頼朝が,足に黄金の短冊たんざくを付けた鶴を鶴岡八幡宮の社頭より放ったという俗説からの句です。文字通り頼朝の黄金時代,権勢を放鳥行事で天下に誇った様子を江戸の人々が詠みました。「金びらを切る」とは,羽振りを利かせて思い切りよく散財を自慢することです。

かねびらを切て羽をのすつるが岡

現在,鎌倉市の鶴岡八幡宮では,毎年9月の例大祭に鈴虫放生祭が行なわれます。旧暦8月15日,流鏑馬やぶさめ神事が終わり境内に涼風が吹く頃,舞殿で祭儀が行われ,若宮横の柳原神池で神職によって鈴虫が放たれます。

 

天下祭の賑わい

天下祭(御用祭とも)は,江戸時代から続く東京の代表的な祭礼で,神田祭と山王祭のことです。天下祭に富岡八幡宮の深川祭を加えて江戸三大祭と称されます。

 

 

 

 

 

 

 

神田大明神御祭圖
出典:Kuniteru Iによる”神田大明神御祭図”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

神田明神は江戸の総鎮守,山王権現(日枝神社)は徳川家の産土神うぶすながみ(生地の守り神)で,両社は江戸城の守護として歴代の将軍家が崇敬しました。両社の大祭の賑わいは大江戸でも格別で,神輿みこし山車だし付祭つけまつり(踊り屋台)が江戸城吹上の御庭に入り,将軍家の台覧に供しました。

 金屏風どこにあらふといふ道ぐ
 金びやうぶ元が元だとかりにやり
 金屏風たゝむとつねの見世になり

渡御とぎょ行列の道筋にあたる町々は掃き清められ,表通りの商家の店先には緋毛氈ひもうせんが敷かれました。家々では金屏風を飾り,町内の人々を招いて酒肴でもてなし,親戚知友が集まって渡御行列を拝観したのです。
ところが金屏風は高価な家財道具で,一句目のように,誰の家にもあるという代物ではありません。そこで借りて済まそうというわけで,二句目は,借りようとした家が最近は落ちぶれているが,それでも昔からの名家。元が元だから,ある所にはあるだろう,という庶民感覚です。三句目からは,祭礼が終わって戻った日常生活と静けさと共に,そこはかとない寂しさも伝わってきます。

南蛮屏風(狩野内膳作「南蛮人渡来図」の右隻)
出典:Kanō Naizenによる”Arrival of the Southern Barbarians (Nanban-jin) Screen”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

 

江戸幕府の財政を支えた佐渡の金

江戸時代の金山で有名だったのは佐渡金山で,1601(慶長6)年に徳川家康が領有し,金は幕府の重要な財源でした。江戸初期の元和年間から寛永年間にかけての佐渡金山の最盛期には,年間で金400㎏,銀37.5㌧が幕府に納められたといいます。

金の番とろとろとしてうなされる

これは金蔵の番人の句です。金蔵は金銀財宝を納めておく蔵のことで,ここはさぞかしお金持ちなのでしょう。金蔵番は因果な仕事。眠気に誘われてついうとうとしても,夢で何かにうなされ,はたと目覚めたというわけです。金蔵の中身が無ければ,そこまでおびえることはなかろうものを,お役目とは言えご苦労なことで,といったところです。

金持かねもちのくせに小粒にことをかき

「小粒」とは一分金(一分判,一分判金,小粒金とも)のことで,長方形の小額貨幣でした。金持ちのところには小判がたくさんあるはずなのに,一分金はお持ちでないようで不便なことだろう,というわけです。

大判は贈答や賜与しよに使われたのに対して,小判は江戸の市中に流通する標準貨幣でした。小判は1595(文禄4)年に徳川家康が豊臣秀吉の許可を得て,京から後藤徳乗の代理を呼び寄せ,江戸と駿府で鋳造させたのが始まりです。後藤家は,代々装剣金具の製作を家業とし,室町時代以降,幕府御用達の彫金を担いました。1601年には慶長小判に加えて量目りょうめが小判の四分の一にあたる一分金が鋳造され,小判は,その後幾度か改鋳されましたが,その品位に関係なく一枚が一両で,一分金4枚と換えることができました。

 

 

 

慶長大判(左),慶長小判(右上)と一分金
出典:PHGCOMによる”静岡県伊豆市にある土肥金山に展示してある慶弔大判小判”ライセンスはCC BY-SA 3.0(WIKIMEDIA COMMONSより)

 

金箔の歴史と用途

次の句は,道陸神どうろくじん(道祖神とも)に指先でつまむほどの金箔か銀箔が付けてある,という情景です。日頃から信心深く,御利益があった人が,お礼参りで箔を貼り付けたのです。道陸神は路傍の神様です。地境や峠,村落の中心,街道の辻や三叉路などにまつられ,石に文字や像が刻まれています。人々は,村落の守護,疫病悪霊退散,縁結び,子孫繁栄,旅行安全などを祈りました。

つまむ程道陸神に箔をおき

ここで,金箔についてまとめておきます。箔にした金は紀元前1200年頃の古代エジプトからの歴史があります。金は展性と延性に優れ,打ち延ばすと厚さ0.0001㎜(0.1㍈)程度にまで薄くすることができ,体積1㎤の金は約10㎡(およそ畳6枚分の広さ)の箔になります。純粋すぎる金は箔打ちが困難とされ,金箔の多くの材料は銀,銅を含む金合金です。

金箔の製造は,現在では金沢市の伝統工芸ですが,金沢で金箔が初めて作られたのは,加賀藩の藩祖前田利家が豊臣秀吉より朝鮮の役の際に命を受けた1593(文禄2)年とされます。その後,加賀藩では,江戸幕府が箔打ち禁止令を出して京以外での製箔を禁じてからも,藩内の細工所で隠し打ちが続けられました。その結果,限られた材料での製箔技術が向上しました。北陸の気候は湿度が高いので製箔に適していることや,藩内の輪島や七尾に金箔を使う漆器や仏壇の産地があったことなども立地の条件になりました。

製箔の工程は,今でも機械化されているのは一部で,伝統技法が多く残ります。具体的には,澄屋ずみやが行う延金のべきん上澄うわずみ,箔屋が行う箔打ちに分業されています。
澄屋の延金は,金合金をつくり,圧延機で厚さ0.03㎜に打ち延ばしてから6㎝角に切る作業,上澄は,厚さ0.003㎜(3㍈)程度に打ち延ばしてから20㎝角に切る作業です。箔屋では更に打ち延ばして厚さが0.0002~0.0003㎜(0.2~0.3㍈)程度にします。打ち上がった箔は,選別後に竹製の枠で切り揃えられ,ミツマタ(三椏)の和紙を間紙あいしとして挟んで出荷されます。
金箔の性質は金・銀・銅の含有率によって決まり,次表のように多彩な種類があります。

美術・工芸では,切箔,金砂子きんすなご金泥きんでいなど,金箔の加工品も使われます。このうち,金砂子は箔を粉末状にしたもので,屏風絵ではかすみなどの表現に用いられ,金泥は箔を粉末にしてにかわで溶いたものです。

 

参考文献■
「誹風柳多留」濱田義一郎・佐藤要人監修(社会思想社,1986・1987年)
初篇(教養文庫1135)濱田義一郎校注  二篇(教養文庫1136)鈴木倉之助校注
三篇(教養文庫1137)岩田秀行校注   四篇(教養文庫1138)八木敬一校注
五篇(教養文庫1139)佐藤要人校注   六篇(教養文庫1201)粕谷宏紀校注
七篇(教養文庫1202)西原 亮校注    八篇(教養文庫1203)室山源三郎校注
九篇(教養文庫1204)八木敬一校注   十篇(教養文庫1205)佐藤要人校注
金箔に関するホームページ
石川県箔商工業協同組合(https://hakukumiai.jp)
金沢金箔伝統技術保存会(https://entsukegoldleaf.jp)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。非常勤講師として2019年に名古屋工業大学「科学史」(工学部二部),2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」(全学部共通)を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。