新発見! ヒドロキシルラジカルの新たな発生源

皆さんこんにちは。活性酸素という言葉を聞いたことがあるでしょう。活性酸素は、酸素原子を含む反応しやすい分子やイオンのことで、過酸化水素やスーパーオキシドアニオン(O2)などが含まれます。活性酸素の中で最も反応性が高いものとして知られているのがヒドロキシルラジカル(・OH)です。水酸化物イオン(OH)と似ていますが、水酸化物イオンが陰イオンで水溶液中でも安定に存在するのに対し、ヒドロキシルラジカルは電荷を持たず多くの化合物と瞬時に反応して酸化させ、また大気中でも1秒以内の寿命しか持たない[1]というきわめて反応しやすい物質です。ヒドロキシルラジカルは、大気中(成層圏)において紫外線(特に波長の短い紫外線)の助けを借りてオゾンと水から発生し、大気中の多くの種類の有害なガスを取り除く役目を果たしているので、「大気の洗剤(detergent)」などとも呼ばれています(図1参照)。地球温暖化の原因となるメタンなどの有機化合物もまた窒素酸化物や亜硫酸ガスなどの無機化合物も、このヒドロキシルラジカルが分解してくれるおかげで地球上では低い濃度に保たれているとのことです[2]。ヒドロキシルラジカルは図1の過程による以外に、亜硝酸(HNO2)やホルムアルデヒド(HCHO)などに波長の長い紫外線が当たることによっても生成するとされています。

図1 大気中でオゾンからヒドロキシルラジカルが生成する過程
成層圏でオゾンに紫外線(のうち特に短い波長の光)が当たり、原子状かつエネルギーの高い酸素(O*)が発生し、それが水分子と反応することでヒドロキシルラジカル(・OH)が生成する。

 このように地球上で重要な働きをしているヒドロキシルラジカルですが、これまでは主に前述のような屋外での発生メカニズムが研究されてきました。一方屋内でも例えばリモネン(柑橘類からの匂いの元となり、二重結合を有している化合物)のような物質にオゾンが反応することでヒドロキシルラジカルが生成するという報告もなされてきました。最近になって、米国・デンマーク・キプロスなどの大学の研究者からなるグループが、人間からもヒドロキシルラジカルが発生しているという驚くべき研究成果を発表しました[3]。今回この研究グループは、ステンレス製の特別な実験室に4人の被験者を入れて数時間活動を行わせ、ヒドロキシルラジカルの生成量を測定しました。室内の塗料や被験者の衣服からヒドロキシルラジカル発生に関わるような物質がないようにして実験を行ったのです。その結果、部屋の中にオゾンを導入しないときにはヒドロキシルラジカルはほとんど観測されなかったのに対して、わずかの量でも(35ppb)でもオゾンを導入するとヒドロキシルラジカルの発生が認められたのです。実験室内の空気の循環や換気など様々な条件での実験を行い、またコンピュータシミュレーションの結果を合わせて、以下のような結論が導かれました。
人間の皮膚からは例えばスクワレンのような油状の物質が分泌されます。これがオゾンと反応すると、図2に示す6-MHOやゲラニルアセトンのような様々な生成物ができます。これらの生成物はすべてC=C二重結合を持った有機物です。これらがさらにオゾンと反応することでヒドロキシルラジカルが発生するというのです。特に部屋の中の空気の循環が悪いときには、部屋の下部でヒドロキシルラジカルの量が多くなることもシミュレーションによって明らかにされました。

図2 ヒトからヒドロキシルラジカルが生成する過程の説明図
ヒトの皮膚から分泌されるスクワレンなどの油脂がオゾンと反応して、例えば6-MHO(6-メチル-5-ヘプテン-2-オン)やゲラニルアセトンといった化合物が生成する。これらの生成物にさらにオゾンが反応することによって、ヒドロキシルラジカルが発生する。

 冒頭でも述べたように、ヒドロキシルラジカルは大気の組成に大きく関わっていることが明らかにされてきました。このヒドロキシルラジカルはきわめて反応性の高い分子で、ウイルスや細菌に対しても殺菌作用のあることが知られています。すべての生命に対して危険な物質になり得ますが、動物や植物は、ヒドロキシルラジカルと共存するすべを身につけてきたということが言われています。しかしそれだけではなく、人間自らもヒドロキシルラジカルを発生させていたとは驚きですね。これによってウイルスなどから体を防御するシステムを作ってきたという可能性もあるのでしょうか。今回の研究の代表者の1人であるJonathan Williams博士はこう言っています[4]。「我々は部屋のソファーから発生される物質を研究してきた。しかしソファーに座っていた人については調べたことはなかったのだ」 まだまだ世の中には分からないことが多いようですね。それではまた次回。

 

[1] I. S. A. Isaksen and S. B. Dalsøren, Science, 2011, 331, 38–39.
[2] 黒川宏之, 地球と生命:惑星の大気,  https://members.elsi.jp/~hiro.kurokawa/lecture_files/TokyoTech_Earth_and_Life_2021_03.pdf.
[3] N. Zannoni, P. S. J. Lakey, Y. Won, M. Shiraiwa, D. Rim, C. J. Weschler, N. Wang, L. Ernle, M. Li, G. Bekö, P. Wargocki and J. Williams, Science, 2022, 377, 1071–1077.論文の著者の中の白岩学先生は、東京大学出身で現在カリフォルニア大学アーバイン校の教授をされている先生です。
[4] Chem. & Eng. News, p.5, Sept. 26, 2022.

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坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっています。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。