危険な薬品を安全に扱う新技術

みなさんこんにちは。今日は有機化学の実験に関するちょっとマニアックな話題です。有機合成では、しばしば取り扱いにきわめて慎重な作業が要求される試薬を使うことがあります。有機化学の研究室にはきっとあるノルマルブチルリチウム(n-BuLi、Li-CH2CH2CH2CH3)などの有機リチウム試薬がその例です。これらの試薬は、リチウムに結合している部分を反応させたい物質に結合させたり、有機化合物中の水素原子を引き抜いて反応しやすくしたりすることで様々な有機化合物の合成に使われています。この有機リチウムなどの試薬は水や酸素と反応しやすく、反応容器内や溶媒中の水分を厳密に取り除かないと、反応がうまく進まないのみならず、最悪発火して火事になります。十数年前には米国で若い女性研究者がこの種の試薬の発火によって命を落とすという痛ましい事故も起こっています。

図1 水分や酸素を嫌う試薬を扱う方法。左)試薬瓶から注射器で抜き取る。右)抜き取った試薬を反応溶液のフラスコに入れる。

 このような危険な試薬を扱うために、通常は窒素やアルゴンのような反応しにくい気体(不活性気体)の中で、酸素や水分を厳密に絶って反応を行います。図1にはよく行われる方法を示します。反応しやすい試薬は、不活性気体が充填された瓶に、厳重に封をされた状態で販売されています。たいてい瓶のねじのふたを取るとゴム等でさらにシールがなされていて、そこから注射器で試薬の溶液を吸い取ることができるようになっています。不活性気体を注入しながら、溶液を必要量抜き取ります。反応の際は注射器で抜き取った溶液を反応用のフラスコにかぶせたゴムのふた(セプタムという)を通して注入します。フラスコ、注射器、注射針、反応の溶媒などは水分が付着していないように十分乾燥したものを使います。一連の手順は水分や空気が入らないように、十分な準備と細心の注意を払って行う必要があります。
このような試薬を使う反応は、熟練した研究者でないとうまくいかないこともしばしばです。このような試薬を簡便にかつ安全に取り扱う方法についてこれまでにいくつかの提案もありましたが、決定的な方法というものは見いだされていませんでした。今回、英国ヨーク大学の研究者らは画期的な方法を見いだしました[1]。それは、ゲルで試薬を覆うというものです。赤ちゃんのおむつなどに吸水性のゲルが使われていますね。コップ一杯の水にゲル化剤を少量入れると全体の水がゲル化して固まるようなあれです。それと同じように、有機溶媒にゲル化剤を振りかけるとゲル状に固まる有機ゲルというものが知られています。この論文の著者らはヘキサトリアコンタンという化合物(C36H74)がこの目的に使えることを示しました。例えば0.08 gのヘキサトリアコンタンを小型のガラス瓶に入れ、ゴムセプタムで覆い、中を窒素で満たします。そこに1 mLのヘキサン溶媒と0.84 mLの市販n-BuLi溶液をいれて、そうっと加熱します。ヘキサトリアコンタンが溶けたらすぐに氷で冷やせばゲルができあがりです。図2のようにガラス瓶の中で固まったゲルができますし、さらにプラスチック製の注射器の中でゲルを作り、はさみで注射器を切ってゲルを取り出せば、円筒状の試薬入りのゲルが得られます。

 

図2 ゲル化した有機リチウム試薬 左)ガラス瓶のなかでゲル化させたものは逆さにしても流動しない。右)プラスチック容器の中で作成したゲル
これらの図はSlavíkらの論文Nat. Chem., 2023, 15, 319–325から引用しました。(CC BY 4.0)

 さて、問題はこれらのゲルがきちんと反応試剤の役をなすかということです。研究者はガラス瓶中のゲルや取り出したゲルを用いて様々な反応を試しました。図3はそのうちの一例です。これらは典型的な有機リチウムを用いる反応ですが、これらのゲルを用いても、従来の試薬を用いる場合と変わらない収率で生成物が得られることが分かりました。ゲルブロックを用いる反応を行うときは、反応させたい物質と溶媒が入っているフラスコにゲルブロックを入れて5分撹拌し、水を加えます。溶液をろ過して溶媒を蒸発させれば生成物が得られます。ゲル化剤のヘキサトリアコンタンはろ過の操作の際に取り除かれます。加えて論文ではこの反応以外にも多くの反応にこれらのゲルが使えるかを試していますが、概ね良好な収率で反応が進行することが分かりました。

図3 ゲル化した有機リチウム試薬を利用する反応の例。中央の化合物ベンゾフェノンにゲル化したn-BuLi(CH3CH2CH2CH2Li)またはPhLi(C6H5Li)を反応させるとそれぞれ両側の化合物が得られる。実際には有機リチウムと反応させた後、水を反応させて生成物を得る。

 さらに研究者たちは、このゲルの安定性を試しました。ゲルは不活性気体中で作られますが、30分程度であればそのまま空気中に出しておいても、多少収率は落ちますがそのまま反応に使えることが分かりました。さらにびっくりすることはこのゲルを水に30分つけておいても、反応の収率は半分程度にはなったもののまだリチウム試薬の活性が十分残っていたのです。通常のリチウム試薬の溶液は水に入れた瞬間に反応してしまいますが。また他のさらに反応性の高いリチウム試薬や、有機マグネシウム試薬についてもこのゲル化の手法が使えることが確認されています。
このような試薬が市販されるようになり、様々な反応が簡便にかつ安全に行えるようになると有機合成の敷居も低くなっていいですね。それではまた次回。

 

[1] P. Slavík, B. R. Trowse, P. O’Brien and D. K. Smith, Nat. Chem., 2023, 15, 319–325. 本論文はオープンアクセスなので誰でも読むことができます。https://doi.org/10.1038/s41557-023-01136-x

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坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっています。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。