銅(Cu)~人類が最初に利用した金属。女王卑弥呼には魏から百枚もの銅鏡が献上!?~

原子番号29、銅。Copperの名前の由来は、紀元前3千年ごろから銅鉱石が多く産出したキプロスにある。シプリゥムcypriumやシプラムcyprumと呼ばれたあと、キュープラムcuprumと呼び名が変わり英語の語源となった。人類と銅の関わりはずいぶんと古く、火を使いこなすよりも前に自然銅を手にしていたことがわかっている。ヒトは火が使えるようになると、銅の製錬技術を習得し、純度の高い銅や青銅を作れるようになった。古代エ ジプトでは紀元前5000年頃に食器や装飾品、武器などが銅で作られていた。

邪馬台国の女王、卑弥呼は西暦238年ごろ、魏より百枚の銅鏡を献上されたとされている。

井田川茶臼山古墳(亀山市)から出土した画文帯神獣鏡(左)と復元した銅鏡(中央)。実際に鏡面に顔を映した様子(右)(写真提供:三重県埋蔵文化財センター)

卑弥呼が鏡のパワーで自身の統治力を民に知らしめるのに使ったと考えられている。よく博物館などで目にする銅鏡の出土品は緑青に覆われているが、当時の鏡は人の姿を映すことができる特別で神聖なものとして扱われていたようだ。三重県埋蔵文化財センター※2では銅鏡を復元し、歴史教育などに活用している(写真参照)。

世界最大の金銅仏である東大寺の盧舎那仏像(奈良の大仏、752年完成)に使用された銅の量は約500トンと見積もられており、当時日本の各地で採掘された銅が大量に奈良に集められと考えられている。銅鏡にしても仏像にしても、銅が歴史的に市民へ大きな影響を与えたことは間違いない。

東大寺盧舎那仏像(Matt Boulton  氏による”Buddha Vairocana/Daibutsu” ライセンスはCC BY-SA 2.0による)

近年、銅は特に電気・電子産業に不可欠であることから経済の発展と密接な関係を持ち、2000年以降の中国の消費量の増加は著しいものがある。そして銅と銅合金は、電線や電子機器だけでなく、屋根材などの建築物、 精密機器の部品、装飾品、日用品、抗菌作用を利用したグッズ等、様々な分野で広く利用されている。銅イオンの作用には、O-157、レジオネラ菌、水虫などの細菌類を死滅させる性質のほか、インフルエンザやノロなどのウィルスの不活性化効果も検証されている。硫酸銅CaSO4と消石灰Ca(OH)2を水に溶かした溶液は“ボルドー液”と呼ばれ、ワイン用のブドウ畑に利用されており、雨などで徐々に溶け出す銅イオンが病原菌の繁殖抑制に役立っている。

近年、世界的に電気自動車の普及が進んでいるが、国際銅協会によると、自動車1台当たりの銅使用量はガソリン車で24kg、HEVで33kg、PHVで54kg、EV で94kg、FCVで15kgと報告されており、今後益々の世界的な銅の需要拡大が予想されている。

自然界の銅鉱石は硫化物が主流であり、黄銅鉱(CuFeS2)、班銅鉱斑銅鉱※1(Cu5FeS4)、輝銅(Cu2S)、硫砒銅鉱(Cu3AsSbS4) などがある。それらが風化して形成された酸化鉱のほか、若干量の自然銅も天然に存在する。自然界からとれる黄銅鉱などの粗鉱には銅はわずか 0.5~1.0 %程度しか含まれていない。純度の高い銅を得るまでには何段階ものプロセスが必要だ。まず選鉱によって銅の含量を25~40%にしたもの(銅精鉱)を得る。選鉱にはバクテリアリーチング、浮遊選鉱、比重選鉱などの種類がある。選鉱されたものを溶融炉および転炉でケイ酸と酸素の添加によって不純物を取り除くと、銅成分が98.5%の粗鋼ができる。さらにそれを精製炉で還元剤となるブタンガスやアンモニアによって処理すると銅成分99.5%となる。最終的には、これを陽極板(アノード)として、銅成分99.99%の高純度銅板を陰極板(カソード)として電解精製をする。硫酸系の電解液につけて電気分解と陽極板の銅成分は溶け出し、陰極板のほうに付着し薄い陰極の銅板は、その高い純度がかわらないまま、やがて厚くなってくるというのが最終段階となる。

また、銅系の鉱石には多くの元素が含まれており、金、銀、白金、パラジウム、セレン、テルルなどが回収できる。一方で銅の鉱石には硫黄分が多いことから、二酸化硫黄による大気汚染(酸性雨問題)と、銅鉱石採掘による、河川水などの銅汚染などが世界の各地で公害となった経験を踏まえ、世界規模での環境への負荷対策が重要である。

実験 銅の旅

銅などの金属元素について、銅の硬貨のように光り輝く単体だけをイメージする人も少なくないだろう。実際に金属には様々な状態がある。この実験は、単体と化合物を区別すること、元素の概念を理解すること、または金属の様々な化学反応について反応式を通じて理解すること、などを目的として実施することができる。

銅が旅をするという名前からも想像できるように、この実験では、銅が単体から始まり、溶解、析出、酸化、還元などの様々な反応によって、色も形も変えていく。様々な過程を通過して、最終的に銅が単体の形に戻ってくる、という一連の化学実験である。この実験は考案者により「銅の旅」と名付けられている。ここではその流れの一例を示す(濃度や体積はその通りでなくても実施可能である)。

①金属銅の入った試験管に濃硝酸を3 mLほど入れ、ゴム栓をする。(硝酸による溶解反応)

②①に純水を加えて色が緑から青に変化するのを確認する。

③②の液体を別の容器に移したあと、沈殿に6M水酸化ナトリウム水溶液を数mL入れる。(水酸化物の形成)

④試験管の中に生じた沈殿をろ過し、蒸発皿に取る。

⑤蒸発皿の沈殿を色が変化し終わるまで穏やかに加熱する。(酸化物の形成)

⑥上の蒸発皿を冷まし、6M塩酸を加えて蒸発皿中の物質をすべてとかす。

⑦すべて溶け切った溶液にアルミニウム箔をちぎって少しずつ加える。(金属銅の析出)

⑧蒸発皿中に生じた沈殿をろ過し、乾いたろ紙に移してステンレス製薬さじでこすりつける。(金属銅の回収)

その他、銅に関するその他の色々な実験が平松による論文に丁寧に紹介されている。

「銅の旅」の実験の一部。(左)①、(中央)②→③、そして(右)⑥の様子
(提供(左):都留文科大学山田暢司先生)

 

※1 2018年11月20日 訂正
※2 2019年3月12日 誤記訂正(三重県埋蔵文化センター → 三重県埋蔵文化財センター)

 

参考文献:
1)一般社団法人日本伸銅協会のホームページ:http://copper-brass.gr.jp/copper-and-brass/copper/history
2)酒匂幸男、“銅製錬技術の系統化調査”、国立科学博物館技術の系統化調査報告、Vol.6、2006年3月、
3)「銅」誌第175号 銅の歴史物語
4)一般社団法人日本銅センターのホームページ:http://www.jcda.or.jp/feature/tabid/88/Default.aspx
5)独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構、“銅ビジネスの変遷-2000年以降-”、平成30年3月
6)株式会社神戸製鋼のホームページ、やさしい技術/銅編:http://www.kobelco.co.jp/alcu/technical/copper/
7)妻木貴雄、“銅の旅(定番!化学実験(高校版) 10 無機化学 II (金属元素))”、化学と教育、2001年49巻12号p.793
8)平松茂樹、“銅の性質と実験 : 高等学校「化学」における扱いを中心に(身近な元素の世界)” 、化学と教育、2014 年 62 巻 2 号 p. 80-83
9)2005年度教育課題探究(理科)研究集録、「銅の化学変化を通して元素の概念を考える」:
http://www.naruto-u.ac.jp/course/sci/sci/class/kyouiku_kadai_tankyuu/2005/4/cupper.pdf

写真提供:
三重県埋蔵文化財センター
らくらく化学実験「演示教材」銅と硝酸の反応:
http://rakuchem.com/ek_do_syosan.html

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山﨑 友紀

大学教授として化学や地球環境論の講義を担当。水熱化学の研究を行いながらサイエンスライターとしても活動中。趣味はクラシックバレエ。