錫(Sn)~ペストに罹る金属? 鳴く金属?

すずは空気中でも水中でも安定で腐食されにくく、展性・延性が大きい金属です。資源量はそれほど豊かではありませんが、鉱石からの還元が容易であることと、融点が低い点で利用しやすく、合金などとして古くから様々な道具に用いられてきました。

被覆材や合金などとしての使用

元素としての発見以前から知られていた金属としては金,銀,銅,鉄,水銀と共に錫が挙げられます。古くからの認識は現代におけるものとは異なるものでしたが、その使用は広範でした。紀元1世紀には、ラテン人は錫を「白い鉛」、鉛を「黒い鉛」と呼び、銅の腐食防止のために表面を錫で被覆すると良いことも知られていました。

錫の融点は232℃です。ナトリウムやリチウムなどのアルカリ金属には100℃前後のものがありますが、空気中で安定な金属としては、亜鉛(419℃),鉛(327℃),カドミウム(321℃),ビスマス(271℃)よりも低いのです。
錫はまた、合金として幅広く使われてきましたし、今もそうです。具体的には、青銅,ブリキ,半田,砲金,活字合金などが挙げられます。

錫の産出と語源

錫鉱石の採取は古代にフェニキア人が地中海で始めたとされ、彼らは長くイングランド南西端のコーンウォール地方に鉱石を求めました。英語のtinは、古代イタリアのエトルリアの神ティニア(Tinia)に由来するとされます。

一方、元素記号はラテン語のstannumスタンナムに由来します。この語の語源は不詳ですが、銀と鉛との合金に用いられ、4世紀頃から錫を表すようになったとされます。日本語の「すず」は数少ない大和言葉の元素名の一つで、「しろなまり」とも呼ばれました。こがね(金),しろがね(銀),あかがね(銅),くろがね(鉄)などと共に、日本でも古くから知られてきた金属であることがうかがい知れます。

欧州圏に良質な鉱石が枯渇してくると、列強国は世界各地に開発の手を拡げました。例えば、ボリビアを開発したのはアメリカ、マレーシアはイギリスでした。現在では中国,インドネシア,ペルーが生産の上位です。

日本国内にも、かつては谷山(鹿児島市),見立みたて(宮崎県西臼杵郡日之影町),尾平おびら(大分県豊後大野市緒方町),明延あけのべ(兵庫県養父やぶ市大屋町)などに鉱山がありました。このうち、明延鉱山は平安時代初期に発見された銅の鉱山でもあり、その銅は奈良・東大寺の毘廬舎那仏びるしゃなぶつにも使われました。現在日本では、錫の需要の大半が輸入されています。

錫の鉱石としては、鉱脈中に鉱床として存在するほかに、風化作用に対して安定で比重や硬度が大きいことから砂鉱としても存在します。鉱石は「山錫」と呼ばれ、砂鉱は「砂錫」と呼ばれます。

錫石(京都府亀岡市・行者山産)

錫鉱石の主成分は酸化錫(Ⅳ)SnO2で、鉱石は比重選鉱で品位70%程度にしてから還元製錬され、粗錫を経て精錬されます。また、酸化錫(Ⅳ)は透明で電気伝導性を有することから、飛行機の前方窓など結氷すると視界が妨げられる所に用いる凍結防止ガラスにも使われています。

錫がペストにかかる?

黒死病とも呼ばれたペストは、14世紀半ばの西欧を中心に猛威を奮いました。ペスト菌はネズミ類の病原菌で、ノミが鼠の血液を吸い、人間に媒介します。死亡率が高く、症状が進行して敗血症を伴うと皮膚に紫黒色の出血斑が現れます。

代表的な都市での死者数の規模は、ロンドンやベニスで10万人、マルセイユで7万人、フィレンツェやアビニョンで6万人、パリで5万人でした。ペストの流行は,中世ヨーロッパ社会の封建制度を支えた荘園の労働力を失わせ、中央集権国家が成立する近世への契機となったのです。

「錫ペスト,tin pest」は、錫の表面に突起が生じ、その白色の肌が灰色に変色して変形や破壊に至る現象です。ペストの恐怖におののく当時の人々は、金属さえも罹患するとして極度におびえました。1860年代に欧州全土を大寒波が襲ったときには、教会のパイプオルガンの錫製パイプが粉々になった、博物館に陳列された錫製品が一夜にして崩れ去ったという話が伝えられ、人々は悪魔の仕業だと恐れを募らせました。

錫はまた、棒状や板状のものを曲げると、竹がしなる時のような音を発します。これは「錫鳴き,tin cry」(錫鳴り,錫声とも)と呼ばれます。錫鳴きの原因は、内部の結晶の摩擦音であると考えられていますが、いずれにせよ金属としては珍しい現象です。

錫ペストの原因は同素体間の転移です。錫の液体が凝固して生じるのは、銀白色(密度7.30g/㎤)で金属光沢のあるβ-錫(白色錫とも)です。一方、α-錫(灰色錫とも)は灰色(密度5.57g/㎤)で、非金属に近い性質です。この二つの同素体間の転移温度は13.2℃で、金属から非金属へという極端な変化が室温付近で起きるのです。このことは,錫が周期表の中で金属と非金属との境界付近にあって両性金属であることにも通じ、錫は「半金属,metalloid」とも呼ばれます。

 

 

α-錫(右):灰色,金属光沢がない

  β-錫(左):銀白色,金属光沢がある

 

Alchemist-hp氏による”purest tin 99,999 % = 5N, beta (left, white) and alpha (right, gray) allotropes” ライセンスはCC BY-SA 3.0 deによる

しかし、錫の相転移は転移温度以下で直ちに起こるわけではなく、実際には-20℃を下回るぐらいから始まります。初めは表面に灰色のシミができ、部分的に体積が膨張して、これが広がります。このような低温では、α体の粉がβ体の表面に付着しても、その部分からα体に変化します。しかし、この転移は合金では起きませんし、α体を融解してから凝固させればβ体に戻ります。

ここで、α-錫という非金属的な同素体が存在する理由を錫原子の電子配置の点から見てみましょう。錫は14族に属し、クリプトン(Kr)と同じ安定な稀ガス型配置の外側に14個の電子を収容しています。すなわち、N殻の4d軌道までが埋まり、O殻の5s,5p軌道を4個の最外殻電子が占めています。

この4個の最外殻電子が5s5pのsp混成軌道をつくるとα-錫、5s5pのsp混成軌道をつくるとβ-錫です。β体(sp)では、同一平面内に4個の原子が0.302㎚の原子間距離で存在します。しかも面間距離は0.318㎚で、両者が近い値であることがβ体(sp )からα体(sp)への転移を容易にしていると考えられます。

 

参考文献:
「元素発見の歴史1」M.ウィークス,H.レスター共著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)

The following two tabs change content below.
園部利彦

園部利彦

2017年3月まで岐阜県立高等学校で化学を教え退職。化学(科学)の歴史と科学者に興味があり、趣味は鉱山の旅とフランス語。