ヨウ素はハロゲン元素の一つで,その単体は常温・常圧では黒紫色の固体ですが,昇華性があり,加熱すると紫色の気体を生じます。ヨウ素デンプン反応や殺菌作用でよく知られており,最近では,液晶ディスプレイ用偏光板に使われるヨウ素錯体も注目されています。 |
ヨウ素の発見-硝酸製造との関連
ヨウ素を発見したのはフランスの化学者B.クールトワです。彼はフランス東部の県都でブルゴーニュワインの集散地ディジョンに生まれ,化学を学んだ後,22歳で陸軍に病院薬剤師として配属されました。彼の父は硝石製造工場を経営していましたが事業に失敗し,以後は,債権者への返済などに苦労しながら息子と共に働きました。
硝酸は古くから明礬(硫酸カリウムアルミニウム十二水和物,AlK(SO4)2・12H2O)や緑礬(硫酸鉄(Ⅱ)七水和物,FeSO4・7H2O)などの硫酸塩と硝石(主成分は硝酸カリウム,KNO3)を原料としてつくられていました。硫酸塩の代わりに硫酸を用いる改良法を見出したのが17世紀のドイツの化学者J.グラウバーで,彼は様々な無機物質の製法を発明・発見したことでも知られています。
硝酸のもう一方の原料である硝酸カリウムは,当時はチリ硝石が発見される前で,海藻灰から得ていました。海藻灰には,硝酸塩のほかに塩化物・臭化物・ヨウ化物・炭酸塩・硫酸塩が含まれ,こうした雑多な無機塩の混合物が原料として使われていたのです。
1811年のある日クールトワは,海藻灰の処理工程で,誤っていつもより多くの硫酸を加えてしまいました。作業を進めていくと,溶液から紫色の蒸気が立ち上りました。彼は,この蒸気を集めて調べ,それが酸素や炭素とは化合しにくいこと,赤熱しても分解せず,水素・リン・金属と反応することなどを確認しました。しかし,家業に追われるクールトワには,それ以上に追究する余裕が時間的にも経済的にもなく,「X」と名前を付けただけで,その後の研究を同郷の友人に託しました。
Xの研究を託されたのはN.クレマンとC.デゾルムでした。二人は高等理工科学校(エコール・ポリテクニク)で出会って以降,化学の研究を共同で行っていました。彼らは試料をJ.ゲイ・リュサックとA.アンペールに送り,1813年にクールトワの発見を公表しました。一方でクールトワは,化学者がXを研究することができるようにと,いくばくかの量を製薬会社に寄贈し,イギリスのH.デーヴィーもXをもらい受けました。
ゲイ・リュサックは,Xが元素もしくは酸化物であると発表し,デーヴィーは,Xが塩素の性質に類似することを見出して元素であると発表しました。共に1813年の晩秋から初冬にかけてのことでした。ゲイ・リュサックの業績は,ヨウ素発見の優先権がフランスにあるという誇りをかけたものとされます。
新元素の名前は,その気体の色から「菫色の」を意味するギリシア語ιωδηςから付けられました。ゲイ・リュサックは菫(ギリシア語でιον)からioneとしましたが,デーヴィーが名付けたiodineが採用されました。ハロゲン元素を代表する記号にXが使われることも,クールトワの命名に由来するのかもしれません。
ヨウ素の循環-海藻での濃縮と人体内の代謝
ヨウ素は脊椎動物のほかに,海藻,珊瑚,海綿,マガキガイ(牡蠣の仲間のマガキは別物)などに蓄積されることが知られています。
マガキガイ(Strombus luhuanus)
(籬は竹などを粗く編んだ垣根のこと,
表面の模様や色が似ている)
出典:Richard Parkerによる”A shell of Conomurex luhuanus”ライセンスはCC-BY-2.0(WIKIMEDIA COMMONSより)
海水中のヨウ素濃度はほぼ0.008ppm(1ppm=10-4%)ですが,海藻は生体で4~500ppmのヨウ素を含み,海水からの濃縮率は実に500~62500倍です。海藻中(乾燥体)のヨウ素濃度は,緑藻類130ppm,紅藻類890ppm,褐藻類4300ppmと,陸上植物(1ppm以下)に較べると高率です。かつて海藻はヨウ素の工業的製法の原料でしたが,20世紀半ば以降は天然ガスや石油の副産物に代わりました。
我々が昆布(褐藻類)を食べると,ヨウ素はどのように代謝されるのでしょうか。
昆布は海水中で,ヨウ化物イオン(I-)を取り込み,それを細胞壁中の酸化酵素と過酸化水素(H2O2)によって次亜ヨウ素酸イオン(IO-)あるいはヨウ素分子(I2)に酸化し,その後再びヨウ化物イオンに変えて蓄えることが分かっています。食物中のヨウ化物イオンは,腸で吸収されて甲状腺に集められ,細胞内にある酸化酵素と過酸化水素によって酸化されてヨウ素分子となってから,チロシン(H2NーCH(CH2C6H4OH)ーCOOH)と結合します。
昆布(褐藻類)はヨウ素を豊富に含む食品
ヨウ素は人体にとって甲状腺機能の維持などに重要な作用を有します。日本の土壌にはヨウ素が含まれており,意識的な摂取をしなくても日常的に必要量が体内に取り込まれているとされます。
ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の事故(1986年)では,大気中に放出された核分裂生成物としてのヨウ素の同位体(131I)が周辺住民の甲状腺に蓄積し,甲状腺癌が多発しました。このような場合には,放射性でないヨウ素を含む製剤を予防的に投与して甲状腺をヨウ素で飽和させ,放射能を体内に取り込むのを防御します。これが「安定ヨウ素剤」です。
日本に紹介されたヨウ素の医用効果
幕末の1862(文久2)年,当時の新薬や新処方のうちの7種類について薬効を解説した書物『七新藥』が刊行されました。同書を著したのは,佐渡島に生まれた司馬凌海(幼名・島倉伊之助)で,彼は医師にして蘭・独・英・仏・露・中の六か国語に通じ,語学の天才と言われた人でした。司馬は,師であるオランダの軍医J.ポンペの医学書を見て『七新藥』を著したとされます。
小説『胡蝶の夢』には,異能に恵まれた一方で稀な人物像であった凌海が描かれています。例えば,彼が東久世通禧の外交顧問になったときの様子は-「東久世の側近たちは伊之助に対して取手のない鉄瓶のような感じをもった。-どうあつかえばいいのだ。と,こまったらしい。」
『七新藥』は三巻から成り,上巻ではヨウ素(沃顛,イヲーディユム),中巻では硝酸銀,酒石酸塩(吐酒石),キニーネ(規尼),下巻ではサントニン(珊多尼),モルヒネ(莫非),肝油が記されています。
上巻の冒頭には「沃顛ハ新出の元素なり文化八年(西國紀元一千八百十一年)西國のクルチュイス(人名)之を塩滷の中に得たりイヲーディンハ希臘言にして紫色を謂ふ此物の霧氣菫花色なるを以て英國の大儒デフィ氏之に資て以て名くと云ふ」とあります(「大儒」は大学者,碩学,「デフィ」はデーヴィーのこと)。
また,〈第二 醫事功用〉の項には,「沃顛ハコインデ氏初めて、之を醫藥に用ひしより以来、其稱大に貴く其用大に廣り、世界之を用ひさるの國なく、醫家之を用ひさるの人なきに以て之を知る遍し」と記して,スイスの内科医J.コインデが初めて医薬として用いたことと,製剤の効用利害が述べられています。
元素として発見され,約半世紀を経て紹介されたことが分かります。上巻の後半部には,各般の製剤として22種のヨウ素化合物が挙げられています。
消毒薬としてのヨウ素については,次回にご紹介します。
参考文献■
「医学用語の起り」小山鼎三著(東京書籍,1983年)
「胡蝶の夢」(一)~(四)司馬遼太郎著(新潮社,1983年)
「シリーズ《食品の科学》 海藻の科学」大石圭一編(朝倉書店,1994年)
「独-日-英 語源辞典・ギリシア語篇」大槻真一郎著(同学社,1997年)
ヨウ素学会のホームページ(http://fiu-iodine.org)
『化学と教育』63,№5(日本化学会,2015年)…特集「ヨウ素の化学」
ヨウ素の用途と製造法(海宝龍夫著)
ヨウ素系偏光板の液晶ディスプレイへの応用(伊﨑章典著)
『七新藥・上巻』司馬凌海著,關 寛齋校(東洋大学額田文庫デジタルコレクション,https://www.toho-u.ac.jp/archives/nukada_bunko/)
園部利彦
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