PCR法とその進歩

皆さんこんにちは。2020年9月1日現在で、新型コロナウイルスの第2波感染の峠は過ぎたようにも見えますが、予断を許さない状況が続いています。現在コロナウイルス感染の診断方法として最も感度が良くかつ信頼されているのはPCR検査であることは言うまでもありません。それではPCR 検査というのはどういうものなのか、ここで簡単に説明しておきましょう。PCR (Polymerase Chain Reaction)は直訳するとポリメラーゼ連鎖反応となり、これはKary Mullisという方が1983年に発明した手法です。その功績で彼は1993年にノーベル化学賞を受賞しました。特定の配列をもつDNA鎖と同じものを最大10億倍くらいまで増やすことができるという技術です。

DNA(デオキシリボ核酸)はご存じの通り、デオキシリボースという糖の一種に核酸塩基と呼ばれる部品(A,T,G,Cの4つのうちの1つ)が結合し、それがリン酸を介して長く結合している鎖状の分子です。実際のDNAはそうしてできた鎖状の分子2本が互いに結合した2重鎖構造となっています。DNAの中の4つの核酸塩基の順番で遺伝情報が決まるのです。2重鎖の間で塩基同士は結合しますが、A-TとC-G以外の組合せでは結合しないような構造になっています(図1)。DNA鎖は非常に長いものがありますが、PCRでは核酸塩基が数百個~数千個つながった程度のDNA鎖(断片)を増幅します。

図1 DNA断片の構造例。ピンクの楕円がデオキシリボース、A、T、G、Cが核酸塩基、灰色横長四角がリン酸結合部分。実際にはこの2重の鎖がらせん状になっている。

PCR検査では例えばウイルスなどに含まれる目的のDNA鎖の配列が分かっていなければなりません。そしてそのDNA鎖の端の部分20塩基部分くらいのDNA断片(ただし1本差)を合成します(たいていは買ってきます)。これをプライマーと呼びます。

PCR法の原理は図2に示したとおりです。まず目的のDNA鎖が入ったサンプルを90℃くらいに加熱すると2重鎖がほどけて1本鎖のDNA鎖になります。そしてプライマーを加えると、プライマーのDNA 配列に目的のDNA鎖がぴったり結合します。20塩基対でもその組み合わせは420=1099511627776通りあり、その中の特定のものしか結合しないので、目的以外のDNAが結合することはまずありません。さらにポリメラーゼという酵素を作用させて、もとのDNA鎖と同じものを副製するのです。

図2 PCR法の原理 ① 90℃程度に加熱してDNA2重鎖を1本鎖にはがす。 ② 急速に冷却すると(60℃程度)、プライマーが結合する。 ③ DNAポリメラーゼが働く温度(70℃程度)にして、元のDNA鎖にちょうど適合する塩基をつないでいく。④DNA 複製完了。図では省略してあるが、①でできた2つの1本鎖DNAのもう片方についても別のプライマーを結合させて、さらにもう1組の2本鎖DNAが合成される。両方合わせると、もとのDNAが2倍に増えたことになる。

 これら一連の作業は実際には温度を上げたり下げたりするだけで順番に進行します。図2の1サイクルが終わるともとのDNA鎖の数が2倍になります。1サイクルが5分とすれば、1時間でDNAの数は212 ≈ 4000倍に、2時間で40002=16000000倍に増えることになります。このPCRの重要な点はプライマーと同じ配列が端にある目的のDNA鎖のみが増幅され、他のDNA鎖は全く増幅されないことです。たった1個のDNAではどんなに精密な手法でも検出が困難ですが、これだけ増えれば、いくつかの方法で検出することができます。DNAの検出法については、一定量以上あるかないかだけを判定する方法や、量を数値で表す方法などいくつかの方法がありますが、ここでは省略します。

さて以前もお話ししたように、今回のコロナウイルスはDNAではなく、RNA(リボ核酸)を持っています。両者は化学者から見るとあまり違いはないのですが、生物学的には大きな違いがあるらしく、上で説明した方法ではRNAを増やすことはできません。そこで、まず逆転写酵素(Reverse Transcriptase)を用いて、RNAを一旦DNAに変換し、そこから通常のPCRの手順を行います。この手法はRT-PCRと呼ばれます。なお通常リアルタイムPCRと呼ばれている方法もPCRの一種ですが、このRT-PCRとは異なります。
最近は、PCR法以外の方法で新型コロナウイルスの感染を診断する方法が様々出てきていますが、やはり信頼性の点ではPCR法がすぐれているようです。このPCR検査をなるべく簡便に,短時間で行えるような研究が様々に進んでいますが、これに関しての状況をご紹介しましょう1。WHOは本年8月5日に専門機関でなくても患者のそばで診断ができる(point-of-careというのだそうです)診断手法の基準を示しました。それに合致するものはまだ現れていませんが、例えば米国ではRADx(US National Institutes of Health’s Rapid Acceleration of Diagnostics initiative)という組織ができて、そこでは新しい診断手法となり得る候補を600の提案の中から7種を選択したとのことです2。この中には例えば既に米国で緊急事態中として使用が承認されており、30分で結果が出る簡便なPCR装置も含まれています。

まだこれらの装置はきちんとした形で承認されたわけではないとのことですが、近い将来これらが世界的にも普及して、正確で早い診断ができるようになるといいですね。それではまたお会いしましょう。

 

1)(1) https://cen.acs.org/analytical-chemistry/diagnostics/Rapid-COVID-19-testing-breaks/98/web/2020/08 (2020年9月1日閲覧).実際の器具の写真がでています。
2)https://www.nibib.nih.gov/covid-19/radx-tech-program/radx-tech-phase2-awards (2020年9月1日閲覧).

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坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっています。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。