法医学と毒物

法医学とは何か

人体を元素の構成からみると、酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リンの6元素で99%以上になります。最初の4元素は人体の構成成分の水やタンパク質、後の2つは骨や遺伝情報である核酸の成分です。もちろん赤血球に含まれる鉄やある種の酵素の活性化に必要なマグネシウムなど、その他の元素も体内で重要な働きをしています。

生物は発生、成長、老化を経て、最終的に死を迎えます。もちろん、老化を迎えないで途中で病気や事故で死亡することもあります。いずれにしても、生物である限り、生体内の恒常性を維持しながら生きています。筆者は大学で法医学を専門としています。法医学の定義は「法医学とは医学的解明助言を必要とする法律上の案件、事項について、科学的で公正な医学的判断を下すことによって、個人の基本的人権の擁護、社会の安全、福祉の維持に寄与することを目的とする医学である。」となります1

医学と社会の幅広い領域をカバーしますが、日常業務は死因究明や殺人事件などの司法解剖の鑑定書作成です。したがって、死に係わる医学といってもよいでしょう。他の領域の医学はできるだけ死を避けることを目標としていますが、法医学では死は避けられないものと考え、生から死に至る過程を見ています。一方、事故や感染症による死は「避けられる死(preventable death)」であるので、時には「死から生を見て、死の予防法を見出す」ことも重要な役割です。

死亡の原因(死因)は多種多様ですが、大きく分けて、内因死(病死)と外因死があります。外因死の中のひとつに中毒があります。中毒とは毒に中(あた)るということで、毒物や医薬品が生体に有害作用を起こし、時には死を引き起こすことです。

毒と体

毒物について、「毒性学の父」と呼ばれたパラケルスス(スイスの医師、化学者:1493-1541)は、あるものが有毒かどうかは摂取量によって決まると述べたと言われています。安全と思われるものでも、摂取量を誤ると、毒になるということです。例えば、代表的な調味料の食塩も塩化ナトリウムとして、ヒト推定致死量は 0.5~5g / kg-体重 です。醤油には食塩が10%程度含まれています。したがって、ヒト推定致死量は 2.8~25mL / kg-体重 となります。醤油を大量に飲めば食塩中毒で死亡する可能性があります。過ぎたるは及ばざるがごとしです。

一方、病気の治療や予防に使われる医薬品も使用量を誤り(たいてい過量摂取)、そうでなくても、人体がその薬物に対して異常な反応を起こした場合、中毒が引き起こされます。そのため、感冒を早く治そうとして、2日分を1日で服用するようなことは無意味だけでなく、中毒の危険があります。

現在、毒物について明確な定義はありませんが、「一般的に比較的少量で生物に有害作用を示す物質」とされています。おおよその目安として、マウス皮下投与時に半数が死亡する量(LD50)が20mg/kg-体重 以下のとき「毒薬」、20〜200mgのとき「劇薬」とされています2。毒物の種類は様々で、化学的に分類すると、単体元素では、フッ素、塩素、ヒ素、重金属(水銀、カドミウム、鉛、など)、放射性同位元素(ポロニウム、プルトニウム、など)、無機化合物では青酸カリ、フッ化水素、塩化水銀(Ⅱ)、硫化水素、一酸化炭素、アジ化ナトリウムなど、有機化合物では有機リンなどの農薬、植物毒、動物毒、細菌毒などです。

薬にもなる毒

このように人を死に至らしめる恐ろしい毒ですが、時には病気の治療薬として使われることもあります。例えば、水銀があります。無機水銀の昇汞しょうこう(塩化第二水銀)は猛毒です(致死量0.3g程度)。また、有機水銀も慢性毒性として水俣病を引き起こします。しかし、水銀の殺菌効果を期待して皮膚病の治療薬として使われてきた歴史があります。昔懐かしい赤チン(マーキュロクロムⓇ)は水銀を含む傷の消毒薬でした。性病の梅毒はトレポネーマ感染(トレポネーマ・パリズムというスピロヘータ科の細菌によって起こる感染症)が原因ですが、抗生剤がなかった江戸時代には梅毒の治療に水銀が使われました(現在では抗生剤のペニシリンが使われます)。使い方によりますが、毒にも薬にもなるということです。

今回は法医学と毒物の関係についてお話しました。次回はヒ素化合物の毒性と治療薬への適応について紹介します。

 

参考:
1.法医学の定義. 日本法医学会教育委員会報告 1982.
http://www.jslm.jp/about/definition.html
2.吉村英敏編. 裁判化学. 南山堂. 1992年

 

 

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上村 公一

東京医科歯科大学教授、専門は法医学、もと高校教諭(化学)。死因究明業務と薬毒物による細胞死の研究に従事。最近、テレビドラマの法医学監修もしている。

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