水の電気分解効率をアップさせる秘策

皆さんこんにちは
以前、”水から酸素を発生させる触媒”の話で光合成における酸素発生のお話をしました。そのときはグラフェンという新材料を使うと水から酸素を発生させる効率が上がるという研究についてお話しましたが、今回は全く違う秘策を紹介します。

水の電気分解とその効率

皆さん御存知のとおり、水を電気分解すると水素と酸素が得られます。水素は次世代エネルギーとしてよく知られていますが、実は世界中で水の電気分解で作る水素は水素全体の4%にしかすぎません。ほとんどの水素は天然ガスなどの化石燃料からリフォーミングという技術で作られています。このときに大量の二酸化炭素が発生し、その量は地球上の二酸化炭素発生量の3%を占めている[1] ということですので、現在走っている水素自動車は実はあまりクリーンではありません。大規模に水素を作るには、水の電気分解よりもリフォーミングの方が安価に水素を作ることができるからなのです。そこで多くの科学者たちは水の電気分解の効率を上げるために精力的に研究を行ってきました。以前ご紹介した研究もそのような1例でした。

水の電気分解をするときは真水ではなく、たとえば水酸化カリウムのような塩(電解質)を溶かした水溶液で行うことは高校でも習うとおりです。最近は電解質を水に溶かすのではなく、高分子の固体電解質を用いることで電気分解の効率が上がることが知られています。しかし、その方法はコストが高いことが欠点で、昔から知られているアルカリ水溶液の電気分解の効率を上げることも求められています。電気分解の効率とはここでは電極の面積あたりどれだけ気体を発生させられるか(電流密度)を指しています。

水の電気分解の際は、陰極上で水素が発生し、陽極上で酸素が発生します。陰極に送り込まれる電子の数と陽極で溶液から引き抜かれる電子の数は同じなので、陰極上の水素発生と陽極上の酸素発生のうち効率の悪い方が全体の効率を決定します。通常酸素発生の方が効率が悪く、これを改善することで水素発生も効率が上がることになります。

効率アップの秘策とは

スペインの科学者たちは、電気分解の際に陽極のそばに磁石を近づけるだけで電流密度が上がり、酸素発生の効率が上がることを見いだしました[2]

図1 1電解槽型実験の模式図
陽極と陰極以外に参照極という電極も使います。これは電位の基準を定めるために用います。

まず彼らはよく用いられる電極の組(陰極が白金網、陽極がニッケル箔)で実験を行い、陽極のそばに磁石を近づけることで電流密度が25%アップすることを見いだしました。この研究で使っている磁石は最近どこでも使われるようになったネオジム磁石です。百均でも売られている銀色でやたら強いアレです。さらに多くの陽極材料を検討した結果、ニッケルと亜鉛と鉄の酸化物NiZnFe4Oxを用いたときに、磁石の効果が最大となり、磁石がないときの2倍近い効率で酸素が発生することを見いだしたのです。磁石を近づけると発生する気体の量が増えることは彼らが撮影したビデオで見ることができます[3]

Magnet doubles hydrogen yield from water splitting
Chemical & Engineering News (C&EN)

ではなぜ磁石を近づけると酸素発生の効率が上がるのでしょうか。著者によれば、それは酸素の特別な性質に基づいています。酸素分子O2は単純な分子の中では非常に変わった性質を持っています。通常分子は偶数の数の電子を持っていることが多く、その場合2個ずつ電子のスピン[4] がすべて逆向きになっていることが知られています。その場合分子は磁石にくっつきません。酸素分子は電子が16個で偶数です。そのうち14個の電子は2個ずつ電子スピンが逆向きになっていますが、残りの2個の電子のスピンが同じ向きに向いているのです。酸素分子を水から作るには2個の酸素原子の中の電子のスピンを同じ向きにそろえる必要があり、そのために磁石を近づけると効果があるというのです。

終わりに

「水商売」という言葉をご存じでしょうか。通常の意味ではなくて、水にまつわるエセ科学的な商品を売ることを指します。たとえば水道水に磁石を取り付けると水がまろやかになって健康にいいとか謳っているような商品です。私の知る限りそのような商品はまず効果について根拠がありません。今回の研究はまさに水商売に当たるものなので、おそらく論文審査もかなり慎重に行われたのではないかと私は思います。論文の結果を見ると確かに磁場の効果があるように見えます。この論文で主張している効果が実際どれほどのものなのか、そして実用に結びつくものなのかの評価は今後行われていくでしょうが、大変面白い結果には違いありません。それではまた次回お会いしましょう。

 

参考文献:
1.M. Peplow, Chem. Eng. News, June 14 (2019): https://cen.acs.org/articles/97/web/2019/06/Magnet-doubles-hydrogen-yield-water.html
2.F. A. Garcés-Pineda, M. Blasco-Ahicart, D. Nieto-Castro, N. López and J. R. Galán-Mascarós, Nature energy, 4, 519-525 (2019): https://www.nature.com/articles/s41560-019-0404-4
3.右のurlで動画がダウンロードできます。https://staticcontent.springer.com/esm/art%3A10.1038%2Fs41560-019-04044/MediaObjects/41560_2019_404_MOESM3_ESM.mp4
4.電子は自転(スピン)していてそれぞれが小さな磁石のように振る舞うと、しばしば説明されます。2個の電子スピンが逆向きになると、2つの小さな磁石が逆向きになることで、磁石の効果がなくなるように考えることができます。

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坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっています。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。