∞型の芳香族分子 infinitene

ベンゼンなどの六角形の形の骨格構造を持った分子は芳香族と呼ばれ、有機化学でよく見られるものですね。典型的な芳香族分子は図1のようなものです。実際には水素原子が多くの炭素原子に結合していますが、たいていそれらは省略して書かれます。炭素の数が4n+2個(nは整数)であることが多く、このときに芳香族特有の安定な性質が現れるとされています。

図1 基本的な芳香族分子 構造図では水素は省略してある。これらは炭素数が4n+2個となっている。

 近年6角形をつなげてもっと複雑な構造をした分子が数多く合成されるようになってきました。図2に示した化合物はいずれも6角形が12個融合したような形となっており、それぞれ1978年と2013年に合成されました(図2)。これらは光に対する挙動や電気的な性質が多くの科学者によって興味を持たれています。

図2 6角形が12個連結した構造の分子。

 ごく最近名古屋大学の研究者によって新たな芳香族化合物が合成されました[1]。やはり6角形が12個結合した分子ですが、無限大(∞)の形をしているので、無限大(infinite)の記号から、インフィニテン(infinitene)と名付けられました。

図3 インフィニテン。無限大(∞)の形からそのように名付けられました。左の図で太く表されている部分は細く表されている部分よりも手前にあります。

 このような化合物を合成することはきわめて困難とされてきましたが、近年では様々な有機合成の手法が開発されており、それらの知見を駆使して、既知の化合物から5段階の合成によって作ることができました。そして得られたものが本当に無限大の形の構造となっているかについては、X線を用いる方法で確認がなされました。その結果判明した構造を図4に示します。確かに∞の形をしていること、芳香族が重なっている部分では6角形のベンゼン環同士の距離がきわめて近く、最も近い炭素原子間の距離は2.92オングストロームと、ほかの化合物では見られないほど近い距離であるということも分かりました。

図4 インフィニテンの立体構造。X線を使った研究によって構造が分かりました。

 インフィニテンは黄色い固体ということで、可視光の一部を吸収します。また紫外線を当てることで発光も観察されます(発光色は文献に記載されていませんがおそらく黄緑色)。特に面白い点は、この化合物は光学活性であることです。アミノ酸や糖類など生物に関係する物質は、その多くが光学活性という性質を持っています。高校の化学でも習うように、不斉炭素を持っている分子は、その分子の鏡像ともとの分子の構造が同じではなく、両分子は偏光に対する挙動が異なるため光学活性であると呼ばれます。今回のインフィニテンに不斉炭素はありませんが、図5に示すように鏡に映した構造と元の構造は同じでないので、光学活性となります。今回の研究で作成したインフィニテンは、図5に示す(M,M)型と(P,P)型の両方が半々に含まれているものがまず得られます。今回の研究ではさらに高速液体クロマトグラフという手法を用いて(M,M)型と(P,P)型を分離することができました。それらは紫外線を当てて発光するときに円偏光という回りながら進む光を発することが分かりました。円偏光の発光は近年多くの光学活性な分子で観測されており、次世代ディスプレイなど多くの応用が考えられている性質です。

(M,M)型               (P,P)型
図5 インフィニテンは鏡像と元の分子が異なるものであることを示す図。左の構造を(M,M)型、右の構造を(P,P)型と呼ぶ。(MとPはマイナスとプラスに由来)

 なお、このインフィニテンが芳香族としてどのような性質を持っているかについては、ごく最近フィンランドとロシアの科学者によって研究論文が発表されています[2]。これによるとインフィニテンは、芳香族特有の、電子が分子全体に分布しているということが示されています。平面になっていないのにこのような結果を示すと言うことは大変興味深いことです。合成研究後すぐにこのような理論研究がなされるということは、この分子がいかに世界で注目をされたかということを表しているようにも思います。
このようにインフィニテンは単に形が面白いと言うだけにとどまらず、様々な興味深い性質を有していることが分かりました。日本の有機化学のレベルの高さを表す研究成果だと感じました。これからもますます面白い化合物が合成されていくことが期待されます。ではまた次回。

 

[1] M. Krzeszewski, H. Ito and K. Itami, J. Am. Chem. Soc., 2022, 144, 862–871.
[2] M. Orozco-Ic, R. R. Valiev and D. Sundholm, Phys. Chem. Chem. Phys., 2022, 24, 6404–6409.

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坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっています。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。

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