水銀(Hg)~条約で使用などが規制された元素

水銀は古代から知られていた元素で、様々な用途に使われてきました。しかし現在では、国際的な条約によって地球規模の水銀汚染を防ぐために規制がなされています。

液体金属ゆえの語源

水銀の元素記号(Hg)は、古代ギリシア語に由来するラテン語のhydrargyrumがもとになっており、文字通り「水」と「銀」を表しています。(銀については”世界遺産になった日本の銀の歴史”を参照)

大和言葉でも「みづかね」で、漢字は「汞」や「澒」が充てられます。このうち、「汞」の字は、消毒剤などに用いられた塩化水銀(Ⅱ)(HgCl2)を表す「昇汞しょうこう」(猛汞とも)、カロメル電極(電極電位の測定用)や下剤に用いられた塩化水銀(Ⅰ)(Hg2Cl2)を表す「甘汞かんこう」などに見ることができます。

また、液体の金属の変幻自在な姿を表す「活動的な銀」の意味のラテン語argentum vivumから、英語のquicksilverやドイツ語のQuecksilberが派生しました(quickの原義は「生きている」の意味)。例えばドイツ語のDas Kind ist ein Quecksilber.(その子は水銀だ)やEr hat Quecksilber im Leibe.(彼は水銀をもっている)は、共に落ち着きが無い性格の表現です。

一方、英語のmercuryは、14世紀から占星術や錬金術で用いられるようになったのが始まりとされます。これは、水銀の流動性が、天球上をあちこちに運行する水星に結び付けられたからとも、素早くて抜け目のないローマ神話の商売の神メルクリウス(Mercurius)に対応していたからともされます。

水銀の用途 - 古代と現代

水銀朱は赤色顔料です。「朱」の字は、甲骨文字では「牛」に横棒を加えた形であり、牛を切った時に吹き出す鮮血の色を示すとされます。

原始の日本人が使った赤色系顔料には硫化水銀(Ⅱ)(HgS)と酸化鉄(Ⅲ)(Fe2O3)があり、酸化鉄(Ⅲ)は硫化水銀(Ⅱ)に比べて黒ずんだ紫色を帯びた色です。硫化水銀(Ⅱ)は深紅色の鉱物(辰砂しんしゃ)として産し、水銀朱のほかに「銀朱」「真朱」「丹砂」「朱砂すさ」などと呼ばれ、酸化鉄(Ⅲ)は「弁柄べんがら」「紅殻べにがら」「鉄朱」「鉄丹」などと呼ばれました。

辰砂:主成分は硫化水銀(Ⅱ)(北海道・イトムカ鉱山 秋田大学鉱業博物館所蔵)

辰砂は朱色の顔料(バーミリオン)の原料で、古代の人々はその鮮やかな色に魅了され、中国では殷代、欧州ではギリシア時代から使われてきました。日本では、天平期に鉛丹(四酸化三鉛(Pb3O4)、四酸化鉛(Ⅳ)二鉛(Ⅱ)とも)がつくられるようになりましたが、この色は黄味の強い赤色で、「光明丹」「赤鉛」「黄丹」などと呼ばれました。鉛丹は硫化水銀(Ⅱ)や酸化鉄(Ⅲ)の代用品として用いられてきたことから、現代人にとっての「朱色」は古来の朱より黄味を含む鉛丹の色に近いようです。

古代の日本人は辰砂を「真赭まそほ」、鉛丹を「そほ」と呼びました。例えば、『万葉集』の〈高市連黑人たけちのむらじくろひとの羈旅の歌〉には、

旅にして物こほしきに山したあけのそほぶね沖にこぐ見ゆ (巻三・雑歌二七〇)

に見られ、この「そほ船」は鉛丹という鉛の酸化物で塗られていたのでしょう。他の歌には「さ丹塗にぬりの大橋」、「さ丹塗の小船」という表現もあり、やはり鉛丹が橋や船の塗装に使われていたことがうかがえます。鮮やかな都の景色を思い浮かべてください。

水銀は辰砂の鉱脈の表面から汗状に吹き出した自然水銀として得られるほか、辰砂を熱して気化させても得られます。水銀は各種の金属と混和してアマルガムと呼ばれる合金をつくります。アマルガムは一般に水銀量が多いと液体、少ないと固体ですが、水銀は白金・マンガン・鉄・コバルト・ニッケル・タングステンとは合金をつくらず、水銀の保存には鉄製容器が用いられます。奈良・東大寺の大仏(銅造盧舎那仏るしゃなぶつ坐像)には金鍍金メッキのために大量のアマルガムが使われました。『万葉集』の〈いまだ國を勘へざる相聞往來の歌〉にある次の歌は、これを詠ったものとされます。

眞金まかね吹く丹生にふ眞朱まそほの色にていはなくのみぞが戀ふらくは (巻一四・三五六〇)

「眞金」すなわち黄金を「吹く」(=鍍金する)のに、丹生(産地名)の「眞朱」(赭の代わりに朱の字が使われている)すなわち水銀が使われたことが分かります。

金属水銀は、誤って飲み込んだとしても消化管からはほとんど吸収されませんが(腸内細菌で有機水銀に変化すると吸収される危険があります)、気化すると肺から吸収されやすくなり、毒性が増します。まだ水銀体温計をお使いの方もあろうかと思いますが、水銀を含む蛍光灯、血圧計、朱肉などと同じく、処分や取り扱いには特に注意を要します。

水銀体温計

液柱型水銀気圧計(フォルタン水銀気圧計)
水銀槽内に象牙の針があり、その先端が水銀面に接するように調整してから、気圧計上部の目盛りを読み取ります。

さらに、有機水銀はとりわけ毒性が強く、このうちメチル水銀((CH3)2Hg)は中枢神経系を冒し、水俣病(熊本県・八代海)や第二水俣病(新潟県・阿賀野川流域)で起きた工場排水に起因する水銀中毒の原因物質です。

水銀条約締結の経緯

国連環境計画(UNEP)は、2001年に地球規模の水銀汚染に係る活動を開始しました。2002年の世界水銀アセスメントに基づいて、2009年、水銀によるリスク削減を目的とした条約制定のための政府間交渉委員会(INC)が設置されました。次いで2013年のINC第5回会合で国際的な水銀条約に関する条文案が合意され、条約名は「水銀に関する水俣条約」と決定されました。そして同年10月に熊本市及び水俣市でこの条約が全会一致(約140の国・地域)で採択されたのです。

水銀に関する水俣条約が2017年に発効したことを受けて、日本では、国内法として「水銀による環境の汚染の防止に関する法律」が制定され、関係法令も改正されました。同法では、水銀の採掘、特定の水銀使用製品の製造、特定の製造工程における水銀等の使用及び水銀等を使用する方法による金の採取を禁止すると共に、水銀等の貯蔵及び水銀を含有する再生資源の管理等などが定められています。

現在では、一部の適用除外製品を除いて、水銀製品は日常生活から段階的に姿を消しています。古代からの水銀使用の歴史、産業などによる中毒被害と共に、次世代につながる環境改善に向けた努力の必要性を理解しましょう。

 

参考文献:
「新訓万葉集 上巻・下巻」佐佐木信綱編(岩波書店,1973年)
「化学語源ものがたり」竹本喜一,金岡喜久子著(化学同人,1986年)
「ギリシア・ローマ神話辞典」高津春繁著(岩波書店,1996年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)
水銀条約関連のホームページ(経済産業省,環境省)

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園部利彦

園部利彦

2017年3月まで岐阜県立高等学校で化学を教え退職。化学(科学)の歴史と科学者に興味があり、趣味は鉱山の旅とフランス語。