ヨウ素(I)-身近な消毒薬としておなじみの元素

 ヨウ素の二回目は消毒薬としてのヨウ素製剤に注目します。ヨウ素を有効成分とする消毒薬としては,ヨードチンキ,ルゴール氏液,ヨードホルム,ポビドンヨードなどが知られています。

医学と消毒の歴史

消毒薬の歴史は,医薬品と同じく,常に医学の発展と共にありました。先ずは,医学の近代化について概観することにします。
顕微鏡が考案されたのは16世紀末で,検鏡によって,生命体は細胞の集合体であることが分かり,微生物も発見されて,それらが何らかの病気を発生させているのではないかと考えられるようになりました。それでも微生物は自然に発生するという考え方は根強く残りました。不潔な物にうじがわき,食物が腐敗するのを日常的に見て,それが微生物によるものであると理解はできても,やはりその微生物は〝自然に〟発生しているとしか考えられなかったのです。

古代から実に19世紀に至るまで,感染症を引き起こす原因は大気中に漂う「悪い空気」と考えられ,ミアスマ(瘴気しょうき)と呼ばれました。悪い空気を退散させるのに人々は,煙を出したり,香水をいたり香をいたりしました。この頃までの内科医は,患者の体内の悪い血を除去(瀉血しゃけつ)したり,祈祷で悪気・悪霊をはらったりし,伝承などに基づく薬を処方していました。外科医は無麻酔で荒療治を行い,傷口の消毒には赤く熱したこてなどを用いて焼灼しょうしゃくしていました。

19世紀半ば,フランスのL.パストゥールは,微生物の自然発生説を実験的に否定し,空気中の微生物こそが感染症の原因であることを示しました。すると外科においても,傷口の化膿の原因が微生物であるとすれば,患部の消毒が術後の良好な回復につながると考えられるようになりました。
一方,ドイツの医師R.コッホは,1882年,特定の細菌をそれによって引き起こされる病気の病原体とみなすため,次の四つの原則を明らかにしました。
ⅰ)特定の症状を示す生体から常に検出されること。
ⅱ)その病原体が生体外で分離・培養できること。
ⅲ)分離・培養後の病原体を別の生体に接種してその症状が再現されること。
ⅳ)症状を再現された生体から再び純粋培養の形でその病原体を分離できること。
パストゥールとコッホは近代細菌学の開祖とされます。

 

消毒薬の登場

予てから傷口の化膿に関心をもっていたイギリスの外科医J.リスターは,病院内に充満している悪気が傷口に入って炎症を起こす場合,どの程度までなら危険でないかを調べたことがありました。このとき,ある患者の壊疽えそに硝酸銀(AgNO)を使って効果的なことを確かめましたが,硝酸銀が悪気を駆逐しないことも分かりました。
一方でリスターは,開放性骨折(骨折端が皮膚から露出している)では多くの場合,手術に成功しても傷口から始まった化膿が全身に拡がると死に至ることに腐心していました。これに対して皮膚に開放創ができない皮下骨折では,骨折部位を修復し副木をしておけば問題なく治癒するのです。
リスターはパストゥールの発酵・腐敗に関する論文を読み,開放創の腐敗を防ぐには空気から傷口に入り込む微生物を破壊するか,微生物の到達を防ぐ必要があると考えました。その頃彼は近くの町で,ゴミの悪臭や汚水で灌漑かんがいされた牧草地の臭気を消すのにフェノールが有効なことや,そこの牧草を食べた牛が寄生虫から解放されたことを聞き及びました。そこで彼は,手術中に噴霧器でフェノールを散布し,フェノールに浸した布で傷口を覆い,医師の手指や手術器具をフェノールで消毒したのです。その結果,術後の化膿が効果的に抑制され,麻酔法の進歩と相まって,以後の外科手術の様相を一変させました。

リスターは,1865年,副作用の強いフェノールに代えて新たな消毒薬を考案し,それを用いて外科手術を行い,良好な成果を得ました。リスターの消毒法に関する論文が医学雑誌『ランセット』に発表されたのは1866年のことでした。
因みに,洗口液(マウスウォッシュ)として知られているリステリンは,後にアメリカで開発された保存性の良い外科手術用消毒薬に,リスターに敬意を示してLISTERINEと名付けたのが始まりです。さらに,リステリンには口腔内の殺菌効果があることが分かり,1895年に口腔用消毒薬として歯科医院向けに発売されたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

リステリンの広告(1919年の婦人雑誌)出典:George D. Buckleyによる””Woman’s Home Companion” 1919 advertisement”ライセンスはPD(出典:WIKIMEDIA COMMONS)

 

消毒薬としてのヨウ素製剤の数々

医学のこうした発展に伴い,消毒薬としてのヨウ素製剤がほどなくして見出されました。以下,順にみていきましょう。

ヨードチンキ: ヨードチンキはヨウ素のエタノール溶液です。ヨウ素の単体は代表的な無極性分子で,極性溶媒である水にはほとんど溶けませんが,エタノールなどの有機溶媒にはよく溶けます。また,ヨウ化カリウム(KI)の水溶液には三ヨウ化物イオン(I)を生じてよく溶け,これはヨウ素ヨウ化カリウム溶液と呼ばれます。
因みに,チンキ剤(tincture)は,トウガラシチンキや苦味くみチンキのように,生薬や薬草の成分をエタノールまたはその水溶液で浸出して得られる液状製剤のことで,ヨードチンキは日本薬局方では酒精しゅせい剤(揮発性医薬品をエタノールまたは水との混液で溶かした液剤)に分類されていますが,チンキ剤に類似であることから,慣習的にチンキと呼ばれたようです。
ついでながら,20世紀初期には,マーキュロクロム液(いわゆる赤チン,成分名はメルブロミン)が局所用殺菌剤として登場し,安価で,傷に塗布してもヨードチンキより刺激の痛みが少ないことから,広く使われてきました。しかし,水銀を使用していることから使用が控えられるようになり,国内生産は2020(令和2)年で終了します。

ヨードチンキの市販品例

ルゴール氏液: ルゴール氏液はヨウ素とヨウ化カリウムのグリセリン溶液で,殺菌剤として咽頭いんとう炎や皮膚病などに用いられるほかに,甲状腺疾患の治療や細菌の染色に用いられます。ルゴール氏液は,ヨウ素を初めて医薬品として用いたスイスの医師J.コインデ(前号で紹介しました,ココをクリック)の息子C.コインデが,1830年頃にフランスの医師J.ルゴールと共に創製したとされます。

ルゴール氏液の市販品例

ヨードホルム: ヨードホルム(トリヨードメタン,CHI)は消毒薬臭のある黄色固体で,エタノール(CH-CH-OH)やアセトン(CH-CO-CH)などにアルカリ性でヨウ素を加えると黄色沈澱として生じます。この反応は「ヨードホルム反応」と呼ばれ,有機化学では CHCH(OH)- や CHCO- の残基を検出する簡易で初歩的な官能基試験法でもあります。
ヨードホルムは,フランスの薬剤師で歯科衛生士でもあったA.ブーシャルダによって1880年に初めて薬用に使われました。ヨードホルム自体に殺菌作用はありませんが,体内で組織液に溶けて分解し,遊離したヨウ素が作用します。

ポビドンヨード: ヨウ素とポリビニルピロリドン(PVP)の錯化合物はポビドンヨードとして知られていますが,これも殺菌作用の本体は単体のヨウ素です。
ポビドンヨードは1930年代にドイツで初めて合成され,第二次世界大戦時には代用血漿けっしょう剤*として使われました。(*:代用血漿剤は,大量失血時の低血圧を回避するために血管内容量の増量効果を代用する膠質こうしつ輸液剤で,ゼラチン液や多糖類のデキストランなども用いられます)
ヨウ素には局所刺激性があるので,1970年代になって,色が付かず,しみない消毒薬として塩化ベンザルコニウム系消毒薬やグルクロン酸クロルヘキシジン系消毒薬(商品名はマキロンなど)といったヨウ素を含まない製剤が現れました。一方,1990年代には,液剤を喉に噴射するタイプのポビドンヨード液噴霧器が登場し,同様の使い方をするルゴール氏液噴霧器もあります。

ポビドンヨード製剤の市販品例

 

参考文献■
「物語り医史」高山坦三著(金剛社,1963年)
「外科学の歴史」C.ダレーヌ著,小林武夫・川村よし子訳(白水社,1988年)
「医学史ものがたり2 医人の探索」井上清恒著(内田老鶴圃,1991年)
「外科の夜明け 防腐法-絶対死からの解放」J.トールワルド著,大野和基訳(小学館,1995年)
「南山堂 医学大辞典」(南山堂,1999年)
『化学と教育』63,№5(日本化学会,2015年),ヨウ素の用途と製造法(海宝龍夫),消毒薬としてのポビドンヨード(八代純子・篠原圭美)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。