ヒ素化合物の毒性と治療薬への適応

ヒ素の毒性

ヒ素は天然の硫砒鉄鉱から得られ、金属と非金属の両方の性質を持ちます。ヒ素化合物には、有機ヒ素、亜ヒ酸、アルシンなどがあり、特に3価のヒ素は毒性が大きいことが知られています。同族のリン(P)が生体内で重要な働きをすることがヒ素の毒性と関係していると考えられます。過去には、殺鼠剤として使われたこともありました。

ヒ素の毒性のメカニズムは生体細胞の-SH基と反応して、酵素を不活化して細胞の呼吸を止めたり、細胞分裂を抑制したりすることによります。

ヒ素の急性毒性は、めまい、頭痛、四肢の脱力、全身の疼痛、麻痺、呼吸困難、腎機能紹障害、胃腸障害、などがあります。胃腸症状から食あたりと間違われることもあります。慢性毒性は、皮膚の角質化、色素沈着、抹消神経障害、発癌、などです。

ヒ素は環境中にもあり、自然水にも含まれます。水道法の基準値は0.01ppm以下と決められています1。ヒ素が毒性をもつことは古くから知られ、”毒物の王(King of poisons)として、アガサ・クリスティーなどのミステリー小説のように毒殺の手段として、また、自殺の手段として用いられていました。毒物は見かけ上、暴力的でないので、女性がよく使うと言われてきましたが、定かではありません。

実際、我が国では毒殺は多くありません。事故や事件も多数報告されています。森永ヒ素ミル事件(1955年)は、粉ミルクに加えられた安定剤に粗悪品が使われ、ヒ素が混入したことによります。西日本を中心に130名以上の死亡者をだしました。我が国の食品公害の先駆けです。また、和歌山カレー事件(1998年)では、地域の夏祭りで作られたカレーを食べた67人が中毒になり、4名が死亡しました。当初、症状から食中毒、簡易的な薬物分析から青酸中毒と間違われましたが、最終的にカレーに混入した亜ヒ酸中毒と確定されました。

亜ヒ酸は無味・無臭の白色結晶で、わずかに水に溶けます(溶解度1.81、20℃)。中毒量は0.005〜0.05g、致死量は0.1〜0.3gで、青酸化合物と同様に猛毒です。致死量を服用した場合、腹痛・下痢やけいれんを起こして死亡します。解剖では消化管粘膜の出血とびらん、肺うっ血が見られます2。なお、我が国では薬物分析技術は進んでいるので、血液、尿、諸臓器から比較的容易にヒ素は検出できます。

治療薬としてのヒ素

このような毒性のあるヒ素ですが、治療薬として用いられてきた歴史もあります。1910年にドイツの細菌学者・生化学者エールリッヒのもとで研究していた日本人の秦佐八郎が有機ヒ素化合物のサルバルサンを合成しました。1943年に抗生剤のペニシリンが発見されるまで、梅毒トレポネーマの特効薬として使われました。

次に、亜ヒ酸はある種の白血病の治療薬として使われます。白血病は血液のがんです。がんとしての発生数は多くはありませんが、毎年10万人あたり6.3人程度が発症しています3。小児から青年層においては、白血病は最も発生頻度の高いがんです。がん化した細胞のタイプから「骨髄性」と「リンパ性」に分けられ、さらに病気の進行パターンや症状から「急性」と「慢性」に分けられます。

急性前骨髄性白血病(acute promyeocytic leukemia: APL)は急性骨髄性白血病のひとつの型で、その10~15%を占め、播種性はしゅせい血管内凝固症候群(血管内で微少な血栓ができるために凝固因子が枯渇し、かえって出血傾向が強まる)を起こしやすく、従来は治療に難渋しました。近年、亜ヒ酸やレチノイン酸(ビタミンが有効であることがわかり、治療成績が飛躍的に向上しました。亜ヒ酸は1991年に中国の研究者によってAPLに効果があることが報告され、その後、米国や我が国で治療のための臨床試験が開始されました。2004年10月、商品名トリセノックス注10mg(As2O3 0.1%溶液、日本新薬)が認可され、保険適用されました。

白血病は血液幹細胞の遺伝子異常が原因で、様々な遺伝子異常が各種の白血病を起こすことがわかっています。APLは、15番染色体と17番染色体の転座[t(15;17)]と呼ばれる染色体異常が特徴で、この異常により、白血球が分化・成熟できなくなることで骨髄球系の分化異常が起き、前骨髄球が異常に増加することで発症に至ります4

亜ヒ酸は高濃度(1~2μmol/L)では細胞にアポトーシスによる細胞死を起こします。一方、低濃度(0.1~0.5μmol/L)では、PML分化させます。現在、亜ヒ酸は分化誘導療法の治療薬として、再発したAPLの治療に用いられています。ただし、副作用として、突然死を起こすQT延長症候群などの重大な不整脈が起こるので、専門医の厳重な監視下で使われます。

次回は、一酸化炭素について紹介します。

 

参考:
1.砒素及びその化合物. 土壌汚染に関するリスクコミュニケーションガイドライン. p.106 公益財団法人日本環境協会
2.急性亜砒酸中毒で死亡した2例. 羽竹勝彦ら, 法医学の実際と研究 30巻 p.99-103. 1987.
3.白血病の発生率. JALSG(日本成人白血病治療共同研究グループ). https://www.jalsg.jp/leukemia/frequency.html
4.急性前骨髄性白血病. 日本血液学会. 造血器腫瘍診療ガイドライン2018年版.

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上村 公一

東京医科歯科大学教授、専門は法医学、もと高校教諭(化学)。死因究明業務と薬毒物による細胞死の研究に従事。最近、テレビドラマの法医学監修もしている。

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