セリウム(Ce)-ガス灯・ライター・ガラスに使われる元素

 セリウムの単体は灰色がかった銀白色の軟らかい金属(融点799℃,沸点3426℃)です。加熱により発火し,熱水,酸に溶け,空気中で酸化されると酸化セリウム(Ⅳ)(CeO)を生じます。セリウムの原子価は+Ⅲと+Ⅳで,+Ⅳ価が安定な数少ないランタノイドです。

ガスとガス照明の普及

天然ガスを燃料とした照明具を最初に製作したのはスコットランドの発明家W.マードックで,1797年,マンチェスターにガス灯が設置されました。しかし,ガス灯は未燃焼ガスによる中毒や爆発の危険性から室内用には適しませんでした。1820年に発明されたライムライト(石灰棒などを酸水素炎で熱して白光を得る)では強い光輝が得られましたが,小型化には適さず,劇場の舞台照明などに使われていました。(⇒ライムライト,映写機についてはココをクリック)

ガスの炎は,熱量は大きいものの,光量は充分ではありません。初期には裸火がそのまま利用され,火口ひぐちを平たくしてガスの放出面を広くし,炎を扇形にして明るさを得るようになっていました。炎が魚の尾鰭おびれのような形であることから「魚尾ぎょび灯」とも呼ばれました。
映画『ガス燈(Gaslight)』(アメリカ・MGM製作,1944年)では,魚尾灯が効果的に使われています。新婚女性を演じるI.バーグマンにC.ボワイエとJ.コットンが共演し,バーグマンはアカデミー主演女優賞を受賞しました。

日本には明治時代にガス灯が入りました。最初にともされたのは大阪市の造幣局周辺(現・大阪市北区天満)で,造幣局にある機械用燃料であったガスを使い,工場や近隣の街路を照らしました。1871(明治4)年のことでした。その翌年には横浜市の馬車道(現・横浜市中区)などに設置され,ガス会社もできて事業化されました。そして更にその翌年には銀座(現・東京都中央区)にも灯ったのです。今でも,夜の街々を照らすガス灯には都市の華やかさや情緒が漂います。

 

ヴェルスバッハ男爵の稀土類研究とその応用

ヴェルスバッハ男爵(C.アウエル)は,オーストリア帝国(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)のウィーンで印刷技師の息子として生まれました。ウィーンでは,ヴェルスバッハが生まれた1858年から,旧市街地を囲む市壁の取り壊しが始まりました。この市壁は13世紀に建設され,かつては皇帝にさえ反旗をひるがえしたウィーン市の自治の象徴でもありましたが,もはや過去の遺物となっていました。ヴェルスバッハは,ウィーンが自由を謳歌し,帝国の政治が混乱する中で文化が爛熟した,いわゆる〝世紀末ウィーン〟の時代を生きました。
ヴェルスバッハは,1877年,大学入学資格を得ると志願して軍に約1年間入り,軍務を終えるとウィーン大学で数学・化学・物理学・熱力学を学びました。1880年からはドイツのハイデルベルク大学でR.ブンゼンに分光学を学び,その後ウィーン大学に戻って稀土類を研究し,1885年には,自ら考案した分別結晶法でプラセオジム(59Pr),ネオジム(60Nd)のそれぞれの化合物を分離しました。

1880年頃,ヴェルスバッハは稀土類酸化物のうち,あるものを高温に熱すると発光することに気付きました。この現象は既に知られていましたが,ヴェルスバッハは,その光が連続スペクトルではなく帯状のスペクトルを示すことに興味をもち,先ずは充分な明るさで発光させる方法を考えました。
彼がかつてブンゼンのもとで研究したとき,分光分析での観察は,白金線の先端に付けた試料をガスバーナーの炎の中に入れて行われていましたが,それでは明るさが不充分でした。発光方法を工夫するうち,塩類の水溶液をガーゼ状の木綿布に浸み込ませて灼熱すると,木綿が燃えた後に,稀土類酸化物が布の形に残ることを見出したのです。
これを契機にヴェルスバッハは,それまでの稀土類の研究で残っていたランタンの塩を使い,実験を繰り返しました。しかし,多くの場合,発光の明るさは良好でも,ガスマントルは保存中に粉々に崩れてしまうのでした。ヴェルスバッハの実験は夜になっても続き,夜半近くに彼の実験室の外を行き交う人は,窓に映る怪しげな光をいぶかしむのでした。

ヴェルスバッハは,マントルに酸化マグネシウム(MgO)・酸化ランタン(Ⅲ)(LaO)・酸化イットリウム(Ⅲ)(YO)の混合物(それぞれ60%,20%,20%)を使う特許を1885年に取得しました。彼は工場を建てて数年間ほど生産しましたが,このときの事業は成功しませんでした。その後,酸化トリウム(Ⅳ)(ThO)が優れていることを見出し,1891年に酸化トリウム(Ⅳ)と酸化セリウム(Ⅳ)の混合物(それぞれ99%,1%)で成功して以降,ガスマントルは普及しました。これはセリウム化合物の工業的利用の最初期の成功例でもありました。

 

 

 

 

 

ガスマントル(ガス灯の中で白熱している部分)
出典:Alex Liivetによる”Gas Lamp”ライセンスはCC0 1.0(WIKIMEDIA COMMONSより)

ガスマントルはガス灯の火口にかぶせられ,白熱光を出す網状で筒状の照明具部品で「火屋ほや」とも呼ばれます。絹などの布製の袋に硝酸塩などの金属塩を染み込ませてから火口に被せ,点火すると繊維は燃えて灰化かいかし,金属塩からできた酸化物のもろい固形物が残ります。これがガスマントルで,赤外線の放射が少なく可視光を多く放射するので光度が大きいのです。
ガス灯の明るさは,魚尾灯では16燭光しょっこう程度だったのに対して,ガスマントルを用いたガス灯では約40燭光でした。なお,「燭光」は光度の旧い単位で,1燭光は蝋燭ろうそく1本分の明るさです。国際単位系(SI)の光度の単位はカンデラ[cd]で,1燭光≒約1cdです。
以後のガス灯は「白熱ガス灯」と呼ばれ,ガスマントルは「ヴェルスバッハマントル」とも呼ばれました。なお,トリウムは放射性元素であり,崩壊生成物にも放射性のものがあります。トリウム化合物を使ったガスマントルでは燃焼時降下物の安全性が懸念されるため,イットリウムやジルコニウムの化合物が代替品として使われます。

さらにヴェルスバッハは,金属線を使った電灯も考案しました。初めは稀土類酸化物を付着させた白金線を使いましたが成功には至らず,オスミウム線の製造法を発明しました。このときの金属線の製法と技術は後に電球のフィラメントにも応用されました。
セリウムとトリウムを使うガスマントルの原料にはモナズ石が適しており,探査の結果,ブラジルやインドで大きな鉱床が見付かりました。ガスマントル量産の一方で生じた余剰の稀土類化合物は,ヴェルスバッハの実験室で更なる研究に役立てられました。

ヴェルスバッハは,稀土類に関する研究成果の実用化にも関心があり,学術研究に軸足を置きながら工業化にも取り組んだ人です。そして1911年,学術及び産業における功績で華族に叙せられ,皇帝F.ヨゼフから男爵位(Freiherr von Welsbach)を与えられました。
ヴェルスバッハは「Mehr Licht(もっと光を)」という言葉を自分の研究のモットーとし,これを若き日に学んだラテン語で「Plus Lucis」と好んで書きました。

 

 

 

 

 

 

ヴェルスバッハのモニュメント(ウィーン)
出典:Bella47による”Carl Freiher Auer von Welsbach – Denkmal (Wiederherstellung)”ライセンスはCC BY-SA 3.0 AT(WIKIMEDIA COMMONSより)

フェロセリウム(セリウムと鉄の合金)はライター用の発火石として使われ,これもヴェルスバッハの発明です。セリウムの単体を硬い物で引っ掻くと火花が出ることは以前から知られていました。1903年,ヴェルスバッハは,いくつかの金属とその配合比を試した結果,セリウム70%・鉄30%の合金が発火合金として最適であることを見出して特許を取得し,1907年には会社を設立して,鉱山での坑内灯の点火用ライターを製作しました。
セリウムは空気中で発火しやすく,フェロセリウムを摩擦するとけずれてできたセリウムの破片が摩擦熱で発火します。こうして生じた火花を種火として液体や気体の燃料に引火させるのです。

 

ガラスを無色にするセリウム化合物

板材,びん,食器に広く使われているソーダ石灰ガラスは,ケイ素,ナトリウム,カルシウムの酸化物が主成分です(SiO:70~75%,NaO:12~18%,CaO:4~13%)。酸化ケイ素(シリカ)の原料であるケイ砂には微量の酸化鉄が不純物として含まれているので,ソーダ石灰ガラスは黄緑色ないしは緑色に着色しています。写真はガラス製のデスクマットで,切断面にはっきりと緑色が見えます。

 

 

 

ガラス製のデスクマット

クリスタルガラスのように色と透明度が重要なガラスでは,磁石や塩酸洗浄などによって原料中の酸化鉄を減らします。ガラスの原料に含まれる酸化鉄(Ⅲ)(FeO)の量を比較すると,次のとおりです。
ソーダガラス:0.3%(板ガラス),0.1%(無色瓶ガラス)
クリスタルガラス:0.003%以下  光ファイバー用ガラス:0.002%以下
酸化セリウム(Ⅳ)は酸化作用が強く,酸化鉄(Ⅱ)(FeO)を酸化鉄(Ⅲ)に変えるので,緑色のガラスを無色に近付けることができます。ガラスの消色には,このほかに補色となる色を出すセレンやコバルトを添加する方法,更に高性能の消色剤としてエルビウムの酸化物を使う方法もあります。

 

参考文献
希土類元素の探求(4),奥野久輝,現代化学・1972年4月(東京化学同人)
希土類元素の探求(5),奥野久輝,現代化学・1972年5月(東京化学同人)
「総説 ガラスの着色について」山口 晃,色材,52,642(1979)
「ガラスあれこれ〔ミニ博物館〕」HOYA㈱編(東洋経済新報社,1988年)
「びんの話」山本孝造著(日本能率協会,1990年)
一般社団法人・東部硝子工業会のホームページ(www.tobu-glass.or.jp)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。