北京、上海、香港で異なっていたウラン(U)の漢字表記

化学元素のウラン(ウラニウム Uran,Uranium)は、1789年に発見された。その8年前に発見されたばかりの天王星のウラヌス(Uranus)という名称に由来をもつ。
早くから原子力として科学研究の対象となり、原子炉燃料、そして核兵器にまで利用された。テレビアニメ「鉄腕アトム」で漫画家の手塚治虫は、原子力をエネルギー源とするアトム(原子の意)の妹ロボットに、ウランの名を与えている。
中国では現在、ウランを

と書く。この5画の偏はもとは金偏であり、1950年代に、政府が識字率の向上を目指して草書体を楷書体に変えて採用した略字である。こうした簡易な字体は簡体字と呼ばれる。
この字の発音は旁の部分の「由」と同じくヨウ(you2声 低い音から高い音に上がる)である。これは、ウランの頭の音「ウ」に近い発音をもつ、分かりやすい漢字を選んで旁にもってきたもの、つまり形声文字に他ならない。

ウランの漢字の歴史

西洋列強が猛り来る清代末期1865年に、清朝政府が洋務運動として西洋科学を急速に取り入れるために、李鴻章が上海に建てた官営軍事機関である江南機器製造総局(江南製造局。翻訳館も設けられた)は、元素に関する記述を含む書籍を立て続けに刊行した。
まず、アメリカ人医師で宣教師のDaniel Jerome Macgowan(ダニエル・ジェローム・マガウアン 漢名は瑪高温)と、無錫出身の中国人数学者の華蘅芳が洋書を翻訳した『金石識別』(1868年に翻訳開始、刊行は1871年とされる)で、ウラニウムは
由日尼恩
と音訳された(巻6)。

イギリス人宣教師で科学者のJohn Fryer(ジョン・フライヤー 漢名は傅蘭雅)と、やはり無錫の化学者である徐寿が洋書を翻訳し、1871年に成立したとされる『化学鑑原』も江南製造局で刊行された。ここに至って、先の音訳を参照にしたのであろうか、「華名」に形声式の「華字」で

と作って用いた(巻1-23ウラほか)。音訳は冗長であるとし、簡潔に1字で示すと述べられている。徐寿は後に、フライヤーとともに上海で近代科学技術を教える格致書院という学校を設立する。

それより1年ほど前に、アメリカ人の医療宣教師John Glasgow Kerr(ジョン・グラスゴー・カー 漢名は嘉約翰)とともに広州の化学者である何瞭然の著した『化学初階』(1870年序文・刊)が羊城博済医局(羊城は香港の近くの広州のこと)で刊行された。
何瞭然が筆述を担当し、造字を始めていた。巻1の「原質(元素のこと)総目」でウランには、
●(金へんに於)
という新たな漢字が作られていた。この「於」は北京語ではユーとイーの中間の発音であり(yu2声)、その地の広東語でも同様である。
なお、この本は日本に伝わって何度か翻刻される。刊行から3年後に市川央坡が訓点を施して日本で刊行された版では、ウランを「鈾」と記す箇所もある。同年に刊行された宍戸逸郎 和解、宇田川興斎 閲『化学初階和解』の巻頭にある宍戸による緒言には、こうした何氏によって創設された、字書にない字にフリガナを付けて用いていることについて、「アヤシムナカレ」(怪しむなかれ)と記している。本文では「原素(元素)」の「支那字記号(支那号)」は「●(金へんに於)」のまま使われている。
石黒忠悳『増訂化学訓蒙』第3版(1876年刊行)でも、「漢名」として「●(金へんに於) 又 鈾」と併記する。

清朝が倒れて成立した中華民国の初期に、徐元誥らによって編纂された漢字の字典である『中華大字典』(1915 1926 6版)には、すでに「化学原質の一」、発音は「由」として収められており(酉集15)、或いは「●(金へんに於)」と訳すとも注記されてあり、音訳による異なる訳も存在が知られていたことがわかる。また、「鈾」は以前に「宙」の古い字として同じ字体があったことも記されている。
台湾や香港では、今も金偏を省略しないで「鈾」と書いている。このように既存の漢字と字体が一致するものもあるが、めったに使わない字となっている場合は問題ないと現実的に判断されていた。

中国では、この字に固定化する前に、ウランの色から、
鐄(金へんに黄)
という字も当てることもあった。清朝政府は洋務運動の一環としてヨーロッパの言語を教育するため、北京には京師同文館を建てた。そこで学術をも教えるようになって化学を教授したフランス人宣教師のM.A.A.Billequin(畢利幹 ビルカン)が教え子の中国人である聯子振とともに訳した『化学指南』は、1873年(同治12年刊)に刊行された。やはり公的な立場から訳語を示そうとする性質をもっていた。
ウランの鉱石を精製する過程で濾過液から得られるウランを多く含む粉末はイエローケーキと呼ばれ、かつての製法では鮮やかな黄色を呈していた。そこから作られた会意文字であるが、旁のままに「黄」と読めば、形声文字を兼ねることになる(もとは鐘の音、大鐘などを表す字だった)。漢字の発音には地域差があるために、音訳を避けたと述べている。今以上に漢字音に方言差がはっきりとあった時期のことである。

中国の伝統的な自然観となっていた五行思想を、元素名の訳出に応用する人も現れた。五行説から「行」を部首のように据えて、「衛」や「衍」にならってその間にさまざまな漢字を挟み込むのである。
ウランには、先だって発見されて命名の由来となった天王星の1字目からであろう「天」が選ばれて、
●(行あいだに天)
という字が作られた。この字は、ドイツ人宣教師のロブシャイドが編んだ『英華字典』(1866-1869年 香港刊)に載っており、ロブシャイド自身が作ったものとされる。会意のようだが、読みは「天」(北京語ではティエンtian1声)と明記されている。金偏の造字よりも数年早く世に現れていたことになる。元素はたかだか30から40種、増えてもどうせ50種くらいだろう、それならばと造字に至ったのかもしれない。

このように元素の造字には、当時、北京、上海、香港という主だった三つの拠点があり、三つの都市において同じ時期に別個に作られていたのであった。

主要参照文献
笹原宏之『日本の漢字』 岩波書店 2006
沈 国威「西方新概念的容受与造新字为译词— 以日本兰学家与来华传教士为例」『浙江大学学报(人文社会科学版)』40 2010
成 明珍『日中韓三国の専門用語における語彙・文字に関する研究 -医学・化学分野の漢字・漢語を中心に-』 早稲田大学博士学位論文 2015

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笹原 宏之

早稲田大学社会科学部教授。漢字圏の言語と文字の変遷と変容を研究し、文献探索、実地調査に明け暮れる日々。かわいい兎を飼っている。

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