日清戦争(1894-1895)の後、中国では、日本の近代科学を取り入れようとする動きが各界で盛んとなった。1900年に章炳麟が、日本から伝わった「酸素」を用いた。1906年に刊行された中国語の化学書にも、「酸素」が使用された。まさに清末の混乱期は、用語の混在期でもあった。
清朝が倒れ、中華民国が成立した1912年に、北洋大学の汪典存は酸素に「養」を選び、1915年に化学者の任鴻雋(中国最後の科挙を受けていた)もまた「養」を選んだが(これは「气」と組み合わせないこととした)、この字は酸化の作用を表していないと批判した。一方、日本の「酸素」もまた誤解に基づく訳であり、中国でそれを使えば、酸素が「酸類」(Acid)だとの誤解を招くと批判している。
清末に役人だった傅雲龍や、作家の魯迅は、化学者の造字自体を批判している。魯迅は漢字は庶民の学問を遅らせた文字として、漢字が滅びなければ中国が滅びるとまで語っている。
1915年に刊行された、『康熙字典』を凌駕する字種を収めた『中華大字典』には、「气」部の元素名は「气」に「日、内、西、亥、克、亞」という新字だけを収め、まだ酸素の新字を載せていなかった。
同年に、中華民国の北京政府の教育部は、医学名詞審査会の案に従って酸素は、
氧
とした。当時、まだ字典にはなかったが、この字が通用していたようで、また簡易であるなどの条件に合致したもので、次第に広まっていった。洋務運動は終わっても、その「中体西用」的な精神と方法は、元素名の漢字による訳に残っていたともいえよう。
これは、当初の訳語「養気」の「養」から音符「羊」を取り出して「气」と組み合わせたものだ。「气」の中に入れるのに「養」という字では画数が多すぎるとの判断によるものだろう。こういう事情から、「羊」の第二声ではなく、イレギュラーだが「養」(やしなう)の第三声のままで読むのである。
こうした訳語の漢字に関しては、北京政府(北洋政府 1912-1928)の決定がないがしろにされていくことがあった一方で、1897年に設立された上海の商務印書館が選んだ訳語を用いた刊行物による影響が大きかったことも知られている。
また、酸素に対する訳語の「養」は批判を受ける。酸素として使う「養」について、一般に養うという意味の動詞として使う字であり、音(声調)が違う、意味が誤解されると、1926年に呉承洛は批判した。「養」は「羊」という声符と食からなる字ではあるが、「羊」は「養」の意を表さないとの批判もあった。
それでも何とかして一字にしなければ、という風潮は不動のものとなっていた。
新たな提案も百家争鳴のごとくに唱えられていく。1916年頃に出された中華民国医薬学会「科学命名草案」では、
●(气のなかに夋)
という、「酸」のつくりを声符とし、音は「酸」という字を用いた。これによって酸類の酸との区別を図ったのである。しかし、日本と同様の混同が生じやすいこの字は、1917年に早々と同系列の委員会で否決された。
また中華医学会は、1917年に酸素について、
氱(气に昜)
という字を選んだ。1926年に教育部と科学名詞審査会もこの字を採用した。「昜」を含んでいるものの、読みは「養」としている。『説文解字』を引いて「昜」は意味も酸素に通じるところがあるとこじつけ、この造字を酸素として使うのは漢字の伝統的な作り方である会意に形声を兼ねた方法であるとした。
1927年に科学名詞審査会は、この字を重視して、「養、氱(气に昜)」と併記するに至った。
こうした併存の中で、1932年に中華民国の教育部が公布した「化学命名原則」に、これまでの「養」(酸素)を略した「羊」に「气」を加えた「氧」こそが、「氱(气に昜)」と違って書き間違えも起こらないという意見も追い風となって、「氧」が賛成多数で採用された。それと同時に、水素、窒素、塩素も「軽」「淡」「緑」に基づく「氫」「氮」「氯」が採用された。
後に台湾はこれを引き継ぎ、拡張をしていった。この簡易な字体と特別な発音もそのまま受け継いだために、今日まで海を隔てて多くの字体も発音も一致していたのである。
これに先立つ1931年に、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学をしていた陸貫一は、英語の影響から、酸素には、
●(气のなかにO)
という漢字に元素記号のローマ字を組み合わせた独特な字を雑誌上で提案した(「原質之新訳名」『科学』16-12 1932)。この雑誌はもとアメリカで刊行され、上海に移ったもので、編集に当たっていた中国科学社のメンバーたちは、科学用語の制定にも積極的に関与していた。陸は、カリフォルニア州バークレイから投稿している。覚えやすく状態も分かるとし、この字は英語の文字「O」でそのまま読むという。
陸は、水素は「●气のなかにH」、ヘリウムは「●气のなかにHe(eは大文字の大きさ)」で、ウランは「●金偏にU」、マグネシウムは「●金偏にMg」、カルシウムは「●金偏にCa」、コバルトは「●金偏にCo」といった具合に、一貫して造字を「新訳」として列挙している。
ちなみに日本では、これに相前後して慶應義塾大学では「●广K●广O」というハイカラでしゃれた略字が生まれていた。江戸時代には、単位を表す「G」「Oz」などが漢字の形に直されて書かれていた。陸の建議は、慶應の略字のような広まりを見せることはなかった。
その後、1933年に教育部の化学討論会は、1915年の案を、「氧」を含めて追認する決議をした。中華医学会はなおも「氱(气に昜)」を主張したが、1937年に化学討論会は、以後は勝手に用語や用字を変えないように決議したことで、「气」の左下の狭い余白に入る字は、酸素に関しては「羊」を踏襲していくことで決着が付いた。
この大きな流れの中で、1934年には窒素(N)には「養育」の「育」を「气」に入れた字の使用が主張されることまで起こった。
元素は、今なお発見され、命名がなされ、そして漢字が当てられている。
最近、新たに認められたオネガソンには、中台が一致して「气」に発音を表す「奧(奥)」を入れた字を作ることが決まった。この新しい字はユニコードにも採用されたが、近年、気体ではないことが判明したと報じられた。しかし、今さらこの字を直すという話は聞かない。
ここで、漢字の応用力を見せつける例を紹介しておこう。安定して使われるようになった元素の漢字を応用して、民国期に入る頃から化合物などの名に専用の字が新たに生み出されたのである。
羰(C=O カルボニル基 碳+氧 音は「湯(汤)」tang)
羧(-COH カルボン酸 氧+酸 音は「梭」suo)
2段目の字は因縁の「羊」と「酸」とを合体させてものだ。他には「羟」(-OH ヒドロキシ基 氢+氧 音は抢qian、後にqiangに変更された)という字まで作られた。
「巯」(氢+硫 音は求 qiú)は、字の内部でそれぞれの字の頭の子音と頭の子音以外の発音を組み合わせる(反切といわゆる自反、切身)ようなことをしている。こういう特異に映る字でも、市販の薬品名に用いられている。
さらに、中華人民共和国建国後の辺りには、既存の元素の漢字が応用されて、水素の同位体のうちで質量数が1から3のものにも漢字が作られ、まとめて一般の辞書にも載せられた。
氕 pie 軽水素 プロチウム 水素1 1H
氘 dao 重水素 デューテリウム 水素2 2H D
氚 chuan 三重水素 トリチウム 水素3 3H T
「气」の左下の要素の画数が質量数となっている。会意文字のようだが、「丿、刀(刂)、川」は、蘇州碼字という数字や西洋の「正」の字式の数え方の象形ないし指事ともいえ、それらが声符を兼ねる形声式の発音で、それも英語名にマッチしている。トリプルミーニングといえる、機転の利いた造字である。この「川」は、発音が遠いように感じられるかもしれないが、舌を反らせた発音なので意外と近く、トランプ大統領のTrumという音の音訳にも使われることがある。こうして中国の漢字辞典では、「气」部の半数以上を近代に作られた新字が占めるに至った。
いつもこんなにうまくいくはずはないが、これらは確かに漢字の本国の面目躍如である。
主要文献(連載既出分も参照)
荒川清秀『日中漢語の生成と交流・受容』白帝社 2018
伊地智昭亘・宇月原貴光「日本の化学の父 宇田川榕菴のライフワーク」『函館工業高等専門学校紀要』51 pp.1-10 2017
黄 河清『近現代漢語辞源』 上海辞書出版社 2020
坂出祥伸「清末民国化学史の一側面―元素漢訳名の定着過程」『東洋の科学と技術藪内清先生頌寿記念論文集』(藪内清先生頌寿記念論文集出版委員会編)pp.298-324 同朋舎出版
坂出祥伸「中国における近代的科学用語の形成と定着」『日本の科学と技術』164号 1974
笹原宏之『日本の漢字』 岩波書店 2006
島尾永康「日本におけるラヴォアジェ化学の受容 -宇田川榕庵手稿本にみる-」『科学史研究』Ⅱ10(100) 1971
島尾永康「Lavoisier化学命名法の日本における確立」『科学史研究』Ⅱ10(100) 1971
沈 国威 「西方新概念的容受与造新字为译词——— 以日本兰学家与来华传教士为例」『浙江大学学报(人文社会科学版)』40 2010
杉本つとむ『江戸時代蘭語学の成立とその展開』Ⅰ~Ⅴ 早稲田大学出版部 1976~1981
成 明珍『日中韓三国の専門用語における語彙・文字に関する研究 -医学・化学分野の漢字・漢語を中心に-』 早稲田大学博士学位論文 2015
張 澔「氧氢氮的翻译:1896-1944年」『自然科学史研究』2002年2期
马 莲・温 昌斌「从oxygen( 氧元素)中文译名的演变看科技译名被接受的条件」『中国科技术语』2012 年第5 期
劉 廣定「中文化學名詞的演變(上)」「中文化學名詞的演變(下)」『科学月刊』1985年10月、11月
笹原 宏之
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