一酸化窒素のお話し -コロナウイルスにも効くか-

一酸化窒素NOは二酸化窒素NO2と共にNOxとして書かれますが、公害の元凶の1つとして嫌われているものです。本日はその窒素酸化物の多彩な働きをご紹介します。窒素酸化物には非常に多くのものが知られています。亜酸化窒素N2O、一酸化窒素NO、三酸化二窒素N2O3、二酸化窒素NO2、五酸化二窒素N2O5などです。固体のN2O5以外はすべて気体です。これらの窒素の酸化数はすべて異なっていて1から5の値をとります。
NOは無色で、非常に酸化されやすい気体で、空気中では即座に褐色のNO2になります。NO2は猛毒の気体で、ディーゼルエンジンから排出され、厄介者とされてきました。またNO2に光が当たるとNOと原子状のOに分解され、このOが酸素分子と反応するとオゾンO3が発生します1。オゾンは光化学スモッグで悪影響を及ぼす原因の1つです。N2Oは麻酔薬として使われはしていましたが、あとの窒素酸化物はここに書いたように公害の原因になる物質としての悪い印象を持つ分子でしかない(と私が大学生までは)思われていました。
ところが1980年代以降NOの生体内の働きが研究され、我々の中でも極めて重要な働きをしていることが分かったのです。この業績で米国のRobert F. Furchgott、Loius Ignarro、Ferid Muradの3人が1998年にノーベル生理学賞を受賞しました。
NOの生理学的な働きで最もよく知られているのは、血管拡張作用です。血管の周りには平滑筋という筋肉があり、血管を収縮したり拡張させたりして、血液循環に関わっているのですが、NOはこの作用に大きく関わっていたのです2。 NOが作用すると血管が広がり、血液の流れが促進され、また血圧が下がります。

図1 NOによる血管拡張の機構。GTPはsGCという酵素の働きでcGMPという分子に変わる。この反応の速度はNOの存在で非常に早くなる。cGMPがPKGに働きかけることによって平滑筋が弛緩する。

 NOが血管平滑筋を緩めて血管を広げる作用を行う鍵になるのが、図1に示したsGCと呼ばれる酵素の働きです。sGCはGTPという物質からcGMPという物質を作るための酵素(つまり触媒)ですが、この酵素はNOが存在すると触媒としての働きが何百倍にもなるのだそうです。そうしてできたcGMPはPKGという酵素に作用するとこれが平滑筋に働きかけて筋肉が緩んで血管が広がるのです。
それではどうしてNOによってsGCの働きが変化するのでしょうか。まだ分からないことも多いようですが、図1にも示した酵素sGCの中に含まれる鉄イオンの周辺の構造が鍵になっているとされています。酵素は生物が利用する触媒で、タンパク質からできていますが、多くの酵素の中には金属元素が入っていて、それが酵素の働きの上で重要な役割を果たしていることが知られています。この酵素sGCの中にはヘムと呼ばれる鉄錯体が入っています。錯体とは一般に金属イオンに有機物や無機イオンなどが結合した構造の分子やイオンを指します。ヘムは我々の血液中で酸素を運搬するヘモグロビンの中心的な構造としてよく知られており、ヘムの中心の鉄イオンに酸素分子が結合して、それによって血液中で酸素が体の隅々まで運ばれるのです。ヘモグロビン以外にも似た構造の鉄錯体を含む酵素は多数知られています。このsGCと呼ばれる酵素ではヘムのまわりのタンパク質が特殊な構造になっていて、酸素分子はヘムの鉄に結合せず、代わりにNO分子が結合しやすくなっています。

図2 a) 酵素の中にはヘム(b)に含まれるような金属錯体が入っていて、それが重要な働きをしているものが多数知られている。b) 血液中で酸素を運搬する働きを担っているヘムと呼ばれる分子。この中心にある鉄イオンに上から酸素分子が結合して体の中を運ばれていく。 c) 酵素cGCの中にある鉄錯体部分。元々は左のように鉄には5つの窒素原子が結合しているが、NOがやってくると急速に結合し、さらに鉄の下部に結合していた部分が外れて、鉄周辺の構造が変化する。さらにNOの濃度が高いときは鉄の下側にNOが結合することも示されている。

 NOが鉄に結合すると図2cに示したように、鉄部分周辺の構造が変化します。それに伴って、酵素全体の構造もわずかに変化します。これによって酵素の反応性が大きく変わるのです。
NOは医学的にもその応用が期待されています3。例えば新生児の肺機能障害に対する治療としてNO吸入が行われているそうです4。肺の機能がNOによって改善するのであれば、何を思いつかれますか?そう新型コロナウイルスの治療にも役立つのではないかと考えることができ、実際にそのような研究がなされているそうです5。まだ現在のところ結果は出ていませんがアメリカとカナダの複数の期間で治験が行われているとのことです。
現在様々な薬が新型コロナウイルスの治療や予防に使えるかどうか研究が進んでいます。もし公害の原因物質と言われていたものがパンデミックを引き起こしている病気の治療に使えるのであれば、悪者扱いされてきたNOが一躍汚名返上となるかもしれません。それではまた次回お会いしましょう。

 

1)Chemistry in the Sunlight, https://earthobservatory.nasa.gov/features/ChemistrySunlight/chemistry_sunlight3.php
2)牧野龍、J. Japan. Biochem. Soc. 2017, 89 414-423.
3)医学的に確立した治療法になっているのかどうか定かではありませんが、高血圧の人が手に力を入れて握る動作をすることでNOの発生が促進され高血圧が改善したとかいう報道が以前なされたこともあります。
4)青谷浩文、滋賀大ニュース
http://www.shiga-med.ac.jp/~hqkikaku/intro/idainews/idainews03/idainews0304.pdf
5)A. Katsnelson, Chem. & Eng. News, 2020, 98, 5/20
https://cen.acs.org/biological-chemistry/infectious-disease/Multiple-clinical-trials-test-whether-NO-gas-can-treat-and-prevent-COVID-19/98/i20

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坪村太郎

坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっています。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。