セシウム(Cs)-分光器によって発見された最初の元素

セシウムは原子番号55のアルカリ金属で,自然発火し,水と激しく反応します。軟らかく(全元素中で最小のモース硬度),延性に富み,銀白色で低融点(28.4℃)の金属です。セシウムは19世紀半ばに考案された分光器によって発見された最初の元素で,分光分析の重要性は,ルビジウム(37Rb),タリウム(81Tl),インジウム(49In),ガリウム(31Ga)と,新元素が立て続けに発見されたことで実証されました。

分光学の歴史と成果

1666年,I.ニュートンは,実験で色の現象を調べました。部屋を真っ暗にし,窓の鎧戸よろいどに開けた小穴からの太陽光をプリズムに通すと,向かい側の壁に着色した幅広の帯ができ,分かれた光を別のプリズムに通しても新たに色はできませんでした。このことから彼は,太陽からの白色光は異なる屈折率を有する光の集合体であることを知りました。彼はまた,小穴とプリズムをいろいろと変えて実験し,最終的に1㎜幅の小穴で長さ25㎝の帯を観測し,スペクトル(spectrum)の語を創出しました。

1801年,W.ウォラストンは,太陽光スペクトル中に暗線(黒線)を発見しました。しかしウォラストンは,暗線はプリズムの傷によって生じたと考え,この現象に興味をもたなかったようです。一方,ドイツのJ.フラウンホーファーも1814年に太陽光スペクトルに暗線(フラウンホーファー線)を発見し,彼は暗線が屈折率や波長の測定の基準として使えることを示しました。

 

フラウンホーファー生誕200年記念切手
(署名にスペクトルと暗線が配されている,西ドイツ・1987年発行)
出典:NobbiPによる”200th day of birth of Joseph von Fraunhofer (1787—1826)”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

次いで1830年代になると,太陽光スペクトルは連続であるが,一部が太陽周辺の高温物質によって吸収されて暗線が生じる,と考えられるようになりました。1834年,イギリスのD.ブリュースターは,管に発煙硝酸の蒸気を満たし,そこに光を通して固有の暗線ができることを示しました。後に別の科学者によって臭素やヨウ素の蒸気でも暗線が生じることが示されました。

ドイツのG.キルヒホフとR.ブンゼンは1860年,初めて分光器を製作しました。次の実験は,ナトリウムの炎色の鋭敏さと共に分光器の精度を裏付けるものです。分光器を広さ約60㎡の部屋の端に置き,他方の隅で塩素酸ナトリウム(NaClO3)3㎎を爆発させてから分光器をのぞいていると,数分後に輝線が現れて10分間続きました。観測の対象になったナトリウムの量を部屋の容積から計算すると3億分の1㎎程度でした。科学者たちは,従来法で不可能だった微量成分の定性的分析を可能にする方法を手にしたのです。

 

 

 

キルヒホフ・ブンゼン分光器
(ハイデルベルク大学博物館で2001年10月撮影,谷口正明氏から提供)

 

 

キルヒホフ・ブンゼン分光器の構造
出典:Annalen der Physik und der Chemie (Poggendorff), Vol. 110 (1860)による”Kirchhoff-Bunsen Spectroscope (from Annalen der Physik und der Chemie (Poggendorff), Vol. 110 (1860))”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

キルヒホフとブンゼンは,ドイツ南西部のバート・デュルクハイム(Bad Dürkheim)の鉱泉水6万キンタル(1キンタル=50㎏として3000㌧)を数10gにまで濃縮し,その中のアルカリ土類金属を除去後に分光分析を行いました。すると,リチウム,ナトリウム,カリウムの輝線のほかに青色の輝線が観測されました。これを新元素によるものと考えた二人は,2世紀ローマのA.ゲッリウスの著作『アッティカの夜』にある記述からセシウム(caesium)と名付けました。-“わが国の昔の人たちは,ギリシア人がγλαυκωπιςグラウコーピス[灰青色の目の]と呼ぶものをcaesius[灰青色の目の]と言ったが,これは,ニギディウスの言に拠れば,言わば『空色そらいろの目のcaelius』ということで,『空caelum』の色から来た言葉なのだ。”(『アッティカの夜』第二巻26節より)

二人は,得られた塩化物から原子量を求め,次いで塩化物の電気分解によって単体を得ようとしました。しかし,金属的ではない物質(コロイド状金属と塩化セシウムの混合物と考えられる)しか得られず,陰極に水銀を用いて塩化物溶液を電気分解することでセシウムのアマルガムを得ました。純粋な金属は,1882年,K.セッテルベルグによりシアン化物の電気分解でつくられました。

 

ポルサイトという鉱物と双子座の神話

セシウムを含む代表的な鉱物にポルサイト(成分は(Cs,Na)AlSiO)があり,ポルサイトには,春の夜空に輝く双子座のα星カストルとβ星ポルックスにまつわる物語があります。

ギリシア神話では,戦で落命した兄のカストルに,ゼウスはポルックス(ポリュデウケース)の不死の力を半分だけ与えて両人に一日おきに神々と人間界にいることを許し,やがて二人を天上の双生児として星座の中に置いたとされます。
時は変わり1846年,ドイツの鉱物学者J.ブライトハウプトはイタリアのエルバ島で晶洞しょうどう(岩石や鉱脈内部の空洞)の中に並んで輝く二つの鉱物を見付けました。当時エルバ島では鉱物の発見が続いていて,この二つも新鉱物だと思った彼は,神話の双子が地下で石になったとして,立方体形の方をポルサイト(ポルックス石),扁平な形の方をカストライト(カストル石)と名付けて学会で発表しました。

1864年になって別のポルサイトにセシウムの存在が確認されたとき,ブライトハウプトは,冶金学者のK.プラットナーに自分が見付けたポルサイトの分析を依頼しましたが,プラットナーは,肝心な未知成分(約8%)を見逃してしまいました。
カストライトの分析もプラットナーが行い,こちらには1817年に既に発見されていたリチウムが確認されたものの,カストライトについては1800年に確認されていたペタライト(葉長石)と同一の鉱物である,という結果でした。結局のところ,不運なブライトハウプトは,新元素発見の機会だけでなく新鉱物発見の機会をも逸したのです。

 

セシウムの用途とセシウムの同位体

セシウムの用途について,ここでは石油の掘削と原子時計での用途を取り上げます。
油井での掘削時には,掘削ドリルや掘削管の冷却と潤滑,掘削屑の搬出,地層の崩壊防止などの目的で,掘削泥水でいすいがドリル先端のノズルから噴射されます。掘削泥水には密度・潤滑性・安定性などの特性が求められ,ギ酸セシウム(HCOOCs)水溶液はその一つです。
ギ酸セシウム水溶液は1990年代半ばに掘削泥水として開発され,密度が最高で2.3g/㎤と大きいこと,ギ酸カリウム(HCOOK)またはギ酸ナトリウム(HCOONa)との混合によって密度調整ができること,生分解性で環境負荷が少ないこと,などが利点とされます。

セシウムの同位体のうち,133Csは自然界に存在する唯一の安定同位体で,原子時計に用いられています。原子時計の考え方は19世紀後半からあり,20世紀になって物理学者のI.ラビらによって実験が行われました。原子は,エネルギー状態の遷移に伴い,エネルギーを電波や光として吸収または放出します。この電波や光の振動数を,振り子の代わりに時間の基準とするのが原子時計で,1955年に初めて英・国立物理学研究所で開発されたのがセシウム133原子時計です。
セシウム原子は,最外殻電子が1個で遷移が単純なこと,重いので止めやすいこと,得られる周波数が1族元素の原子中最大であること,などによって基準物質に選ばれました。1967年には,国際単位系(SI)において1秒は「133Csが91億9263万1770回振動する時間」と定義されました。

 

英・国立物理学研究所の原子時計
出典:National Physical Laboratoryによる”Louis Essen and J. V. L. Parry standing next to the world’s first caesium atomic clock, developed at the UK National Physical Laboratory in 1955.”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

セシウムには質量数が112から151まで39種類の同位体がありますが,137Csはウランの核分裂生成物として90Srと共に生成します。137Csはβ崩壊し,γ線の発生源でもあります。半減期は約30年と中寿命で,原子爆弾や核実験のいわゆる「死の灰」や原子力発電で生じる放射性廃棄物に含まれます。137Csと90Srは,現在でもチェルノブイリ原子力発電所跡の周辺地域における放射能発生源の大部分を占めています。
セシウムは,体内に入ると血流に乗って肝臓や腸に運ばれ,カリウムと置換して筋肉に蓄積し,腎臓から排出されます。137Csの排出には100~200日を要し,体内被曝の原因となります。

 

参考文献■
「分析化学の歴史」F.サバドバリー著,阪上正信他訳(内田老鶴圃,1988年)
「元素発見の歴史2」M.ウィークス・H.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「ギリシア・ローマ神話辞典」高津春繁著(岩波書店,1996年)
「楽しい鉱物図鑑②」堀 秀道著(草思社,2003年)
「楽しい鉱物学 基礎知識から鑑定まで」堀 秀道著(草思社,2004年)
「元素大百科事典」P.エングハグ著,渡辺 正監訳(朝倉書店,2008年)
「1秒って誰が決めるの? 日時計から光格子時計まで」安田正美著(筑摩書房,2014年)
「アッティカの夜1」A.ゲッリウス著,大西英文訳(京都大学学術出版会,2016年)
「化学史事典」化学史学会編(化学同人,2017年)
「時計の科学 人と時間の5000年の歴史」織田一朗著(講談社,2017年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。