いい奴なのか?悪い奴なのか? 問われ続ける 暴れん坊元素 フッ素(F)

 
写真1:フッ素といえば・・・フッ素樹脂加工で焦げ付かないフライパンや、歯の再石灰化を助けるフッ素配合の歯磨きなどが思い出される(depositphotos)

※2019年4月15日に公開した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を追記、その他の部分も修正して2019年12月25日に再度公開しました。

 

日本にもあった!外交カードとなる“物質”

日本は“資源のない国”と言われます。実際、石油から各種鉱物までを輸入に頼っています。最近よく耳にするレアメタルは、身の回りにあるハイテク製品の性能を高めるために加えられている鉱物のうち、地球上にあまり存在していないものを指していう言葉です。そのほとんどが中国などに偏在しているため、これも日本は輸入に頼っており、レアメタルの価格は日本の産業に大きな影響を与えます。こうした資源は、「外交カード」として利用されることがあり、資源のない日本は、幾度となくハラハラさせられてきました。

ところが最近、日本にも「外交カード」として使える“物質”があることを知りました。それが「フッ化水素(HF)」です。フッ化水素は、半導体の製造や洗浄に欠かせないのだそうです。それだけで重要な物質だとわかりますが、フッ素を含む化合物のほとんどがフッ化水素からつくられているのです。ただ、構成元素はフッ素と水素で、レアメタルのように珍しい元素というわけではありません。また、その製造は、石炭や石油のように太古の植物が長い時間をかけてできたのとは違い、時間がかかるわけでもありません。

こう考えると、フッ化水素はどうにも特別な物質には思えないのですが・・・・実は高純度のフッ化水素の製造が難しいのだそうです。猛毒だという点にも気をつけなくてはなりません。そのため日本からの輸入に依存している国があり、その国に対して外交カードになり得るというわけです(ただ、原料の蛍石が主に中国から輸入されているため、その価格が問題となることがあるのですが……)。

そこで今回はフッ化水素。特にそこに含まれるフッ素(F)について考えてみましょう。

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いい奴なのか?悪い奴なのか?

フッ素という元素に対して、皆さんはどのようなイメージを持っているでしょうか(写真1)。虫歯予防のために歯磨きに配合されている成分。焦げ付かないフライパンの表面に施されている物質などなど。フッ素が私たちの生活の中で果たしている役割は実に個性的で、ほかの元素では代わりにならなさそうなものばかりです。

大活躍のフッ素ですが、私には、「いい奴なのか?悪い奴なのか?いつも論じられていて、人々を惑わし続けている元素」という印象があります。どんな元素も結合する相手によってその性質を変え、人にとっていい奴にも、悪い奴にもなるのに、フッ素についてこうした議論が尽きないと感じられるのは、歯磨きとして口に入ったり、フライパンの表面にあって食品に直接触れたりと、フッ素が私たちの生活のごく近くにあるからかもしれません。

では、私たちを惑わすフッ素という元素はそもそもどんな奴なのでしょうか。人工的につくられた元素を合わせると118あるといわれる元素の中でも特に“暴れん坊”として知られています。

“暴れん坊”といえば、第四回で取り上げた窒素(N)の一つの顔でした。窒素同士が結合した単体の窒素ガス(N2)はとても安定(大人しい)で地球大気の78%を占めます。ところが結合する相手(原子)によって窒素原子は不安定になるため、激しい反応を起こすと紹介しました。例えば、火薬に含まれる硝石(硝酸カリウム、KNO3)の窒素(N)と酸素(O)はあまり仲が良くない(安定でない)ので、点火されると簡単に離れてほかに結合する原子を必死で探す。その激しさから、火薬は大爆発を起こすのでした。

では、フッ素はどうでしょうか。フッ素の場合、単体のフッ素ガスF2がすでに手が付けられない暴れん坊です。これは窒素の場合と違います。暴れん坊、つまり大人しくしていないのですから、すぐにほかの原子や化合物と反応してしまって、フッ素の単体はほとんど天然には存在しません*1。フッ素は自然界ではカルシウムと結合したフッ化カルシウム(CaF2)などになって、蛍石をはじめとした鉱物の中に存在しています(写真2)。

 

写真2:フッ素の原料鉱物である蛍石。主にフッ化カルシウム(CaF2)でできている。純粋なものは無色だが、不純物によって緑や紫などさまざまな色を呈する。熱したり紫外線を当てたりすると蛍光を発するものがあるので、このような名前がつけられた(depositphotos)。

*1:2012年、それまで天然には存在しないとされてきた単体のフッ素ガス(F2)がドイツ・フランスなどで産出される蛍石の一種の「アントゾナイト(antozonite)」に存在しているのを確認したと、ドイツの研究グループが発表した(F. Kraus, et al. Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 7847-7849.)。

蛍石(主成分:CaF2)に硫酸(H2SO4)をかけると、日本の外交カードとして紹介したフッ化水素(HF)ができます(化学反応式:CaF2+H2SO4→2HF+CaSO4)。今でもこの方法で、フッ化水素は産業的につくられているのだそうです。ここまで来たら、水素原子を外しさえすれば単体が得られそうですが、そう簡単にはいきません。フッ素の単体はあまりにも反応しやすく捉えにくい上に、猛毒であったため、実験していた化学者の多くが中毒になるなど、単体を得る研究は困難を極めました。

そのため、1886年にフランスの化学者モアッサンが初めてフッ素ガスの単離に成功したことは高く評価され、ノーベル化学賞が与えられました。

どうしてフッ素原子がこんなに暴れん坊なのか。それは電子配置を見れば一目瞭然です。原子番号9のフッ素は9つの電子を持っていますが、これは安定な状態になるのに1個足りません(図1)。そのためフッ素は、電子をほかから奪い取ろうとします。この性質を電気陰性度といいますが、フッ素はすべての物質の中で電気陰性度が最も高いそうです。つまりその性質は、“電子を強奪する”という表現があっているかもしれません。

 

図1:フッ素原子。原子番号9のフッ素原子には、9個の電子(赤丸、負の電荷をもっている)がある。この原子が安定になるには、電子が1つ足りない。この足りない電子を補うために、さまざまな原子と結合する(筆者作成)。

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フッ素を含む化合物の4つの特長
「①超耐久性、②超低表面自由エネルギー、③低屈折性・高光線透過率、④特異な活性」

暴れん坊のフッ素ですが、その分いい相手を見つけて結合すれば、実に安定な大人しい物質になります。しかも、これらのフッ素を含む物質はさまざまな“使える性質”を備えています。

フロンは、フルオロカーボン(フッ素と炭素の化合物)の総称で、1928年に冷蔵庫などの冷媒に理想的な気体として開発されました。その不燃性で、化学的に安定で、液化しやすく、人体に毒性がないという性質から、半導体や精密部品の洗浄剤、スプレーの噴射剤(エアゾール)などへとその用途をどんどん広げていきました。

『フッ素の復権』(化学工業日報社)は、長年フッ素研究に携わってきた松尾 仁さんが2003年に、フッ素=フロンの悪者のイメージを払拭したいと書いた本です。確かに、フロンには悪者のイメージがありますが、どうしてなのでしょうか。フロンは“化学的に安定”であるために安全性の高い物質です。ところが、そのために分解されることなく上部成層圏(地上約10~50 km)に存在するオゾン層に到達します。そこでフロンは紫外線によって分解されます。当初使われていたフロンがクロロフルオロカーボン(CFC)で、フッ素と炭素のほかに塩素を含んでいたため、この時、塩素原子が放出されオゾンを連鎖的に分解してしまったのです。

これをきっかけにフッ素に“悪い奴”のイメージがついてしまったと松尾さんは指摘します。今では、塩素を含まないフロンが“代替フロン”として使われるようになっています。しかし、こちらは温室効果ガスとして地球温暖化への関与が問題となっています。

とはいえフッ素を含む化合物には、①超耐久性、②超低表面自由エネルギー、③低屈折性・高光線透過率、④特異な活性をもつといった、優れた性質を備えたものが多いのです。

①超耐久性を備えたフッ素樹脂塗料は、橋やビルを何十年も美しく安全に保つばかりでなく、塗り替え回数を減らせるので、環境負荷の低減につながっています。②超低表面自由エネルギーによって、水や油を弾いて汚れも寄せ付けないフッ素化合物といえば、焦げ付かないフライパンの表面加工に使われているフッ素樹脂“テフロン”などがあります。テフロンとは開発当時デュポン社が付けた商品名で、物質としてはポリテトラフルオロエチレン(四フッ化エチレン樹脂)です(図2)。ほかにも耐熱性、耐薬品性といった性質も備えているので、フライパンに使われています。

 


図2:ポリテトラフルオロエチレン(四フッ化エチレン樹脂、depositphotos)。球はそれぞれ灰色が炭素(C)、黄色がフッ素(F)。この樹脂の特徴は、C-F結合の結合エネルギーが高いため耐熱性、耐燃焼性(耐酸化性)、耐候性(耐紫外線性)がある。分子間引力が小さく表面自由エネルギー(表面張力)が低いため、非粘着性、撥水・撥油性がある。フッ素原子(F)がC-C鎖の周囲を埋め尽くした構造のため、耐薬品性がある。

 

③低屈折性・高光線透過率は、プラスチック光ファイバーを誕生させ、④特異な活性としては、例えば、歯の主成分であるヒドロキシアパタイトに取り込まれて、虫歯になりにくい歯をつくります。そのために歯磨きにはフッ化ナトリウム(NaF)や、モノフルオロリン酸ナトリウム(Na2PO3F)が入っています。また、水素原子をフッ素原子に替えたことで、化合物の薬理活性が数百倍向上したという例があり、制がん剤や高脂血症薬、抗HIV薬など多くの医薬品にフッ素原子が含まれています。

こうして見ると、フッ素化合物がない世界なんて考えられません。しかし何か問題が起こったら使えなくなってしまうのは事実です。松尾さんは、「どんなに無害で安全なものでも湯水のごとく使いすぎると必ずしっぺ返しを食らうということが、新しい歴史の格言になりつつある」と書いています。フッ素に限らず、多くの元素のもつ性質の恩恵を受け豊かな暮らしを続けるには、節度のある使い方が求められます。いい奴なのか、悪い奴なのかわからないフッ素は、そんなことを教えてくれる元素なのです。

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【参考資料】
①『元素の事典』朝倉書店、2011年
②『フッ素の復権』化学工業日報社、2003年
③ついに日本が報復?フッ化水素の輸出ストップ、韓国の半導体業界に緊張走る(recordchina):https://www.recordchina.co.jp/b660437-s0-c20-d0058.html
④ダイキン フッ素塾:http://www.daikin.co.jp/chm/e-juku/index.html#!/j_c_1_1
⑤フロンとは(経済産業省):
https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/ozone/outline_dispotion.html
⑥生活道具研究家おすすめテフロン(フッ素)加工フライパン5選とランキング(マイナビ):
https://osusume.mynavi.jp/articles/2
⑦中興化成工業株式会社ホームページ:https://www.chukoh.co.jp/
⑧KAOヘルスケアレポートNo.16:
https://www.kao.com/content/dam/sites/kao/www-kao-com/jp/ja/healthscience/pdf/report_16c.pdf

*ウェブサイトはいずれも2019年4月現在

東京農工大学 大学院工学研究院 応用化学部門 山崎 孝教授に追加でお話を伺いました。

 

なお、リライト前の記事はこちらでご覧いただけます。

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池田亜希子

サイテック・コミュニケーションズに勤務。ラジオ勤務の経験を生かして、 現場の空気を伝えられる執筆・放送(科学関連)を目指している。