ナトリウム(Na)~愛される塩(塩化ナトリウム)

富を生んだナトリウム

オーストリア旅行の最後にウィーンの世界遺産シェーンブルン宮殿を訪れた。シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の夏の離宮であった。広い前庭を横切って宮殿の中に入ると、贅を尽くした内装には目を見張るものばかり。エリーザベト皇后のベッドは、天蓋付きで四畳半の広さがあるという。それが普通の大きさのように見えるのは、天井が高く、部屋が広いからである。宮殿のうしろには、東西約1.2km、南北約1kmという広大な美しい庭園が広がっていた。このような宮殿を建てる程の富をハプスブルク帝国にもたらしたものは、塩の交易である。この塩を得るために、ハプスブルク帝国はザルツブルク市の東側にザルツカンマーグートと呼ばれる優良な岩塩鉱のある直轄地を持っていた。世界遺産ハルシュタットもその一つで、古代ローマ以前から岩塩坑のあった街である。こんなに古い時代から塩がどうしてこれほど大切にされてきたのだろうか。


古代ローマ以前からナトリウムの宝庫・岩塩坑のある街ハルシュタット

 塩は基本的な調味料で、塩さえあれば少々まずい食べ物であっても十分食べられる。また、塩を多く加えれば、食品を長く保存できるようになる。ヨーロッパでも食料が十分でなかった古代、中世では、塩は生存に必須な食品であった。だからこそ、塩を握るものは、大きな富を得ることができたのである。

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体内でのナトリウムの役割

塩、食塩はナトリウムイオンと塩素イオンから構成されている。塩を食べて体内に入ったナトリウムはどのような働きをしているのだろうか。
やせた人の身体には水分が約60%含まれている。体水分の3分の2は細胞内液が、残りの3分の1は血漿(けっしょう)と細胞間隙に分布する細胞外液が占めている。ナトリウムが多く含まれているのは、後者の細胞外液である。細胞外液の陽イオンは表のようにナトリウムが最も多く、他のイオンはわずかで、総イオン濃度はほとんど変動しない。陰イオンは塩素イオンが最も多く、炭酸水素イオンが次いで多い。陰イオン濃度が高くなると二酸化炭素を放出して炭酸水素イオンを減らし、低くなると二酸化炭素を炭酸水素イオンに変えて増やして、陽イオンと陰イオンのバランスが維持される。このような仕組みで細胞外液の浸透圧、pHが一定に保たれている。ナトリウムがあるからこそ、このような細胞外液の恒常性が維持されているのである。


北岡建樹『チャートで学ぶ輸液療法の知識』南山堂(1995)

ナトリウムの役割は、細胞外液の恒常性の維持だけだろうか。私たちが米飯やパンを食べると、デンプンが消化されてグルコース(別名ブドウ糖)になってから小腸で吸収される。グルコースの吸収の仕組みは、次のような経過をたどる。グルコースは、小腸細胞の細胞膜にあるナトリウム依存グルコース輸送体の働きでナトリウムと一緒に細胞内に取り込まれる。細胞内に入ったナトリウムは細胞膜にあるナトリウム・カリウムポンプの働きで再び細胞外に出され、次のグルコースの吸収に使われる。

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食生活を豊かにするナトリウム

このようにナトリウムがダイナミックな物質の流れに関わることもあるが、細胞が安定して機能するために細胞外液の恒常性を維持することがナトリウムの主な役割である。この役割を果たすための必要なナトリウム量については、ナトリウムを全く摂取しない時に排泄されるナトリウム量から求められている。『日本人の食事摂取基準2015』では成人のナトリウム推定平均必要量を1日600mg、食塩に換算すると1.524gと定めている。この必要量に比べて私たちははるかに多くの食塩を食べている。それは、多くの料理はおいしく作るのに塩味が必要であり、パンをはじめとして加工する時に食塩が必須となる食品が少なくないからである。つまり、私たちの豊かな食生活は食塩(ナトリウム)に支えられているのである。

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参考書等
上代淑人監訳『ハーパー・生化学』(2001)
厚生労働省『「日本人の食事摂取基準(2015)」作成検討会報告書』(2014)

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馬路 泰藏

現職時には、主に動物実験による栄養学研究、食生活に関する調査研究に携わり、今も食生活のあり方について関心を持っている。著書に『ミルクを食べる 肉を食べる』、『床下からみた白川郷』(風媒社)『食生活論』(有斐閣)等。趣味はテニス、写真撮影。