フランシウム(Fr)-周期表の左下端に位置する元素

フランシウムは周期表の1族にある原子番号87のアルカリ金属で,1939年にフランスの物理学者M.ペレーによって発見されました。ペレーは新元素に母国の名を付けました。フランスの国名が元素名になるのは,ガリウム(31Ga,P.ボアボードランが,ピレネー山脈産鉱石から1875年に発見し,古名ガリアに基づいて命名)に続いて二例目です。(⇒ガリウムについてはココをクリック)

エカ・セシウムの「発見」

19世紀にはまだいくつかあった周期表における空所,すなわち未発見元素の存在について,元素を原子量順に配列したD.メンデレーエフは1871年,トリウム(90Th)とウラン(92U)の間に91番元素があることを示しました。また,元素を原子番号順に配列し直したイギリスの物理学者H.モーズリーは,ポロニウム(84Po)とラドン(86Rn)の間に85番元素,ラドンとラジウム(88Ra)の間に87番元素があることを予測しました。このうち87番元素は,セシウム(55Cs)と同族で次の周期(第7周期)にあることから「エカ・セシウム」と呼ばれました。次の図は上記に関連する周期表の部分を示したものです。

1930年代まで,エカ・セシウム発見の報告が続きましたが,それらはいずれも87番元素の真の姿ではありませんでした。以下にまとめておきます。
1925年,旧ソ連の化学者D.ドブロセルドフは,アルカリ金属の試料から天然に存在するカリウムの放射性同位体(40K)の放射線を観測し,これをエカ・セシウムによるものと考えて,祖国の名からロシウム(russium)と名付けました。
その翌年にはイギリスの化学者G.ドルースらが,硫酸マンガン(Ⅱ)のX線写真を解析し,観測したスペクトル線をエカ・セシウムによるものと推定し,最も重いアルカリ金属元素であるとしてアルカリニウム(alkalinium)と名付けました。

さらに1930年,アメリカの物理学者F.アリソンは,リチア雲母とポルサイト(Pollucite,ポルックス石)からエカ・セシウムを発見したとし,故郷のヴァージニア州からヴァージニウム(virginium)と名付けました。1936年には,ルーマニアの化学者H.フルベイらが,ポルサイトを再度分析してエカ・セシウムを見出したとし,ルーマニアの歴史的名称(モルダビア)からモルダビウム(moldavium)と名付けました。アリソン,フルベイらが分析したポルサイト (組成は(Cs,Na)AlSiO12・2HO)はゼオライト鉱物で,1846年にイタリアのエルバ島に産するものがドイツの鉱物学者A.ブライトハウプトによって初めて記述され,知られるようになりました。

 

 

 

ポルサイト
出典:Robert M. Lavinsky, iRocks.comによる”Pollucite”ライセンスはCC BY-SA 3.0 DEED(WIKIMEDIA COMMONSより)

 

ペレーの成果と放射線障害

ペレーは1929年からM.キュリーが所長を務めるラジウム研究所で助手として働き始めました。彼女は20歳,所長は既に二度のノーベル賞を手にしていました。ペレーは父親を4歳の時に亡くし,家計は困窮していました。しかし,外科医を夢見る少女は教育を充分に受ける機会を逸し,キュリーのもとで化学を実践的に学びました。

1930年代,ラジウム研究所には意欲あふれる若い研究員が集まりました。研究所創立者にあやかりたいだけの研究員に対してキュリーは,「ラジウムは一度しか見付からないのよ」と戒める一方で,若い才能に活躍の場を与えることも惜しみませんでした。

 

 

 

ラジウム研究所の様子
出典:Memorial Sloan Ketteringによる”A radium lab at Memorial Hospital”ライセンスはCC BY-SA 4.0 DEED(WIKIMEDIA COMMONSより)

ペレーに与えられた仕事はキュリーが実験に使うアクチニウム(89Ac)の精製でした。ペレーは,227Acの精製を繰り返す過程でα線を検出しましたが,生成物は未知の物質でした。次いで,この未知物質はセシウム塩と類似のアルカリ金属としての性質を有することに加えて,β線を放出してラジウムの同位体(223Ra)になることから,227Acからα崩壊によって87番元素が生じていると考えたのです。

ペレーの成功は,短時間で壊変する核種を精緻せいちに分離したことによってもたらされました。1946年,ペレーは,新元素の名称をカチオン(cation)に基づいてカチウム(catium)と名付けました。それは,この新元素が全元素中で最も陽性が大きいはずだと考えたからでしたが,師であるキュリーが84番元素を祖国ポーランドの独立を願ってポロニウム(Po)としたことを受けてフランシウム(francium)に変更し,1949年に採用されました。元素記号は,当初はFaでしたが,後にFrに変更されました。

 

 

 

 

 

 

M.ペレー(1909~1975)
出典:Waltercolorによる”Marguerite Perey – portrait”ライセンスはCC BY-SA 4.0 DEED(WIKIMEDIA COMMONSより)

フランシウムには,質量数の順に199Frから232Frまで30種余の同位体が知られ,安定同位体は存在しません。自然界には221Fr(半減期4.8分)と223Fr(半減期22分)が存在します。223Frの大部分はβ崩壊によって同重体の223Raに変化し,一部がα崩壊によって219Atへと崩壊します。次の図はアクチニウム系列(235Uから207Pbに至る質量数(4n+3)の天然放射性核種の崩壊系列)の最初の部分で,右向きの長い矢印はα崩壊,下向きの短い矢印はβ崩壊をそれぞれ示しています。

フランシウムはウラン,トリウムの鉱石中にわずかに存在するだけで,地殻中の存在量がアスタチンに次いで少ない元素です。フランシウムの同位体の半減期は最も長い223Frでも22分でしかなく,秤量可能な量の単体や化合物を得ることがほとんどできません。これらのことから,フランシウムの物理的及び化学的な実測値は少なく,理論的な推定値が多いのが現状です。

ペレーが研究所で働き始めて4年になった頃,早くも左腕に火傷やけどのような痛みを感じました。家族は酸の刺激だろうと言いましたが,彼女自身は違うと感じていました。やがて右腕にも同じ痛みが現れ,40歳の時にその痛みは放射線障害によるものであることが分かりました。彼女は50歳までに20回の手術を受け,二本の指を失いました。彼女は研究の初期を振り返り,当時の防護策は最低限度でしかなく危険を軽視した,と語っています。
ペレーは1949年からストラスブール大学の教授を務めていましたが,晩年は健康が衰えるにつれて研究生活から遠ざかりました。1962年にはフランス科学アカデミーの会員に選ばれ,初の女性会員となりました。それは恩師キュリーが成し得なかった栄誉でした。

放射線防護については,20世紀に入ってから放射線障害に関する解明と対策が進み,とりわけ第二次大戦後に原子エネルギーの利用が拡がって被爆の状況が多様化したことが影響して,一般の労働環境の安全衛生にも及ぶようになりました。そして「電離放射線からの労働者の防護に関する勧告」が国際労働機関(ILO)第44回総会(1960年6月)で採択されました。

 

元素記号と国別ドメイン

フランシウムは,早くから周期表の空所として存在が予想されていたにもかかわらず,自然界で発見された元素としては最後のものです。初めての人工元素はテクネチウム(43Tc,イタリアのE.セグレとC.ペリエが1937年にサイクロトロン中で合成し,ギリシア語の「人工の」の意味から命名)でした。また,フランシウムが発見された翌年の1940年にアメリカでアスタチン(85At)とネプツニウム(93Np)が発見され,これ以降に発見された元素は全て加速器などで人工的に合成されたものです。
フランシウムはまた,個人の研究によって発見された最後の元素でもあります。その後の新元素発見は,国家規模の研究機関や共同研究チームによってなされ,ニホニウム(113Nh)のほかは米ロ両国とドイツによります。

埼玉県和光市の「ニホニウム通り」は,東武鉄道・東京メトロ和光市駅の南口から,途中東京外環自動車道に沿って理化学研究所(和光事業所)に至る歩道です。所々にモニュメントや標識があり,路面には水素(H)からオガネソン(118Og)までのプレートが埋め込まれています。この道だけは〝下を向いて歩こう〟です。(⇒ニホニウムについてはココをクリック)

 
ニホニウム通りの路面にあるプレート
(令和2年1月・撮影)

ところで,インターネット社会の現代,各種のアドレスの末尾にはトップレベルドメイン(TLD)が付与されています。例えば「.com」は商用,「.net」はネットワークを表しています。TLDはドメイン名の最上位階層で,国名には国際標準化機構(ISO)が国及びそれに準じる地域などのために割り当てた地理情報(ISO3166,ラテン文字2文字から成るコード)が充てられており,日本は「.jp」です。
フランスの国別ドメインの「.fr」は,国別ドメインがその国に関連する元素の記号でもある数少ない例です。ほかに同様の例をさがすと,1896年にフランスの化学者E.ドマルセーによって発見され,ヨーロッパに因んで命名されたユウロピウム(63Eu)と,欧州連合を表す「.eu」ぐらいです。(⇒ユウロピウムについてはココをクリック)

 

参考文献
「キュリー夫人の素顔・下」R.リード著,木村絹子訳(共立出版,1975年)
「元素大百科事典」P.エングハグ著,渡辺 正監訳(朝倉書店,2008年)
「元素118の新知識」桜井 弘編(講談社,2017年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)
「世界と科学を変えた52人の女性たち」R.スワビー著,堀越英美訳(青土社,2018年)

The following two tabs change content below.

園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。